ツアー体験のご感想

もっともっと学びを深めていきたい

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

沖縄については、もっともっと学びを深めていきたいと思いました。
これまで書物を通してでしか沖縄の歴史に理解を示せなかったのが、今回は戦跡と聖地を巡ることを通して、再考の機会が与えられました。
また、沖縄の人々はどう先の大東亜戦争を見ているのか、直接聞いたことがありませんでした。今回下地さんの思いを込めた肉声を聴くことを通して、私自身の視野と視座を拡げることができました。有難うございます。
クラスの子供たちにも、沖縄で体験したことを話したいと思いました。
やはり本を読むだけでは不十分ですね。
実際にその地に赴き、現地の人々の声を聴くということ、特に戦争体験者の肉声を聞くことが大切だと思いました。
同時に本土の日本人がどれだけ沖縄のこと、沖縄の人々のことを理解しているのかなと思いました。
沖縄の海の碧さは無辜の人々の尊い血の代償ではないか——- と思っています。
私自身も無知な一人ではありますが、今後はもう少し沖縄の人々の立場にも立って、基地問題や今後の沖縄のことに思いを馳せていきたいと思いました。
また、ひめゆりや鉄血勤皇隊、多くの無辜の民間人ためにも、改めて天への凱旋を祈っていきたいと思いました。
沖縄が全日本の光となりますように、今後も沖縄を訪れる人々のために、大活躍されて下さい。
それでは、御機嫌よう。シャローム!
(K.様 北海道 男性)

貴重な二日間

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

貴重な二日間をありがとうございました。
ツアーは考えていたよりも密度が濃く、また基地の話も私にとっても色々と考える事の多い内容でした。娘も知らないことばかりで、自分なりに調べていたものとは違う事を沢山実感できてとてもよかったと言っています。
何より下地さんがとても優しいゆったりした方で、安心して楽しく過ごすことができました。
今回学校の宿題は、歴史はプリントだけでしたが、地理の方が各自が決めた都市について調べ図にして発表するので、それがやっと今日出来上がりました。沖縄についてのまとめですが、発表する時は戦跡について話すそうです。
また色々なお店を教えて頂き、ありがとうございました。
“サムズ”ではもちろんサムズカットを食べ(○ャッキーステーキハウスとは比べ物にならない美味しさ…)“いしぐふー”のそば、“千日”のぜんざいも食べ(どちらもすっごく美味しかった!)麩を買って帰り、ふーちゃんぷるーも作りました。
沖縄へ出発する時の東京は雨で涼しかったのが、沖縄から戻ってからの東京はずっと蒸し暑く沖縄顔負けの毎日です。
(S.様 東京都 親子)

沖縄戦を心に刻むことができた2日間

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

戦争が終った場所で戦後のことを考えました。
下地さん、2日間大変厳しい暑さの中をご案内いただきありがとうございました。沖縄戦を心に刻むことができた2日間だったと感謝しています。
沖縄に戦争の跡を見に行こうと思ったのは、昨年末のことでした。
昨年は戦後70年の年で、安保法制反対運動で国会議事堂の前にもいたのですが、そこで安保とは何かを考えていくうちに、自身の戦後についての認識が非常に浅薄であることに思い至り、戦後をもう一度学び考えるべきだと考えたのです。そこで戦後の始まり=戦争の終わりの地を見に行きたいと考え始め、やはりまずは沖縄だと年末に考えたのでした。どうせ行くなら慰霊の日の6月23日にあわせて、式典にも参加してみよう、それから戦争の跡を見てみたいと、6月24,25日、下地さんのツアーに参加いたしました。
米軍上陸の読谷村、戦争終結の摩文仁、どちらの海も戦場だったとは思えぬほど美しく穏やかでした。その美しい海の間に点在する幾多の戦場やガマで起きたことを下地さんの解説や手作りと思われる資料集そして現地でのご案内人から知らされ、言葉にならない思いの連続でした。「沖縄には遺族でない人はいない」と書かれている本を読みましたが、誇張ではなく本当のことなのだと2日間かけて心に刻むことができました。そしてこれから戦後とは何だったのか、これからも戦後であり続けるためにわが国はどうあるべきかを考える重要な基礎・出発点となる時間でした。私の父親はギリギリ戦場に行かなくてよい年齢であり、父親から聞く空襲のことも非常に悲しい事実でしたが、それよりもはるかに深刻な戦争の悲惨さが現実となった沖縄を臨場感をもって心に刻みつけることができる、そんな時間であり、下地さんのお話とお人柄でした。そしてこれから、戦後とは何だったのかを考える重要な基礎・出発点となる時間でした。感謝以外にありません。
今回は1人での訪問でした。家内と一緒は、特に夏は家内の体力的にいささか厳しい。しかし、今度は家内とともに、ご案内いただいた場所の一つでも訪れたいと思っています。そのときは、もう一度下地さんとお会いできればと思っています。
下地さん、そのときまでお元気で
(K.様 東京都 男性)

想像をはるかに超えた

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回、沖縄での戦争の事を調べるために沖縄に行ったのですが、私の想像をはるかに超えた悲惨な歴史を知ることができました。
本や、映像などで頭ではわかっていたつもりですが、実際の現場などを説明を交えて見たり聞いたりすると何でこんな悲惨な事が起こってしまったのだろうと、ショックでした。そして、米軍の基地問題、実際の沖縄に来てみると、まだ戦争は終わっていないのかなあと思いました。
本土でも基地問題は新聞でとりあげられていますが、遠すぎてなんでこんなに基地が撤退してほしいと沖縄の人たちが言っているのかも、こういう現状を見ない本土の大半の人達はピンとこないと思います。
実際、私もそうでした。思いやり予算という言葉は知っていますが、実際日本の税金がどれだけ使われているのかも知らなかったです。米軍の犯罪も多く、一昨日も市民が巻き添えになった交通事故が起きました。しかし、ひめゆりの資料館で会った修学旅行生の無関心さ、つまんないような態度を見ると、平和ボケ、戦争というものがとても遠くなっているのではないかと感じました。(こういう学生ばかりでないとは思いますが・・)
下地さんのツアーをたまたまネットで知ることが出来、色々な説明をしていただき、今回は日程が合わず南部のツアーがエントリー出来ませんでしたが、また行く機会があればそちらもお願いしたいと思っております。
(K.様 神奈川県 女性)

耳と目と皮膚感覚で理解することが大切

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

事前に沖縄のことは本で読んでいたのですが、現地で説明をお聞きする一つ一つ の言葉が心に染み込みます。やはり、現地に行き耳と目と皮膚感覚で理解することが大切なことだと思いました。
住民のほとんどが自ら命をたったチビチリガマと1000人の住民が避難していたガマで命が助かったガマとの違いは「米軍は住民は殺さない」という比嘉兄弟の住民に対する説得と命をかけた米軍との交渉の結果だとお聞きしました。
「私達が誤った情報を持つと命まで守ることができない。正しい情報を自らの判断で獲得していく必要がある」と下地さんがお話しされたことが印象に残りました。
米軍関係者の住宅地、嘉数高地、前田高地等での日本軍、米軍の戦いなど現地での写真を使っての説明等、沖縄に基地が集中している現状、米軍関係者の沖縄県民に対する特権的な振る舞い等々を聞くと怒りに震えます。日本軍の住民を巻き込んだ戦い、そして、沖縄守備軍32軍司令部は日本本土決戦を少しでも遅らそうとして南部に撤退し、そこに避難していた10万人あまりの住民を巻き込んだ戦闘へと突き進んでいった。「皇軍は住民を守るものではない。国体を守るのである」との言葉に象徴されるように戦争になれば軍隊は住民を守らないものであることがよくわかりました。
今後は大阪の地においてこのツアーで学んだ「沖縄にある基地により沖縄の人たちの人権がいかにないがしろにされているのか。私達が遠くの出来事として沖縄を見ていたのか」を深く心に刻み周りの人たちに少しでも沖縄の現状を理解してもらうために、「辺野古に行こう、沖縄の基地の現状、住民を巻き込んだ沖縄戦の跡を自らの耳、目で見て少しでも沖縄の人たちの思いを受け止めよう」と話していきたいと思っています。
私達が大阪に帰ってから大変な問題が起こりました。早急な基地の撤去が求められます。
(O.様 大阪府 男性)

自分の眼で確かめる

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

沖縄戦のすべてのコースを要領よく取りまとめてその要所々の現地を訪ねてその景色風景を自分の眼で確かめる、その場所、現場で71年前の壮絶な惨劇を米軍の記録写真を重ね合せて実感する、先の大戦開始より三年半日本は南海方面の占領地総べてなくし敗戦濃くなっていた、米軍上陸した1945年4月1日より6月末までの3か月間の死闘の地を日時を合わせながら隈なく詳しく案内して頂いた、いくつか入った壕の中、死闘の丘、追い詰められた最後の崖下 美しい海岸線と紺碧の海と空の狭間で繰り返された殺戮、脳裏にしまい何時か又その地に再度お参りしなければならないと思っています。
(H.様 京都府 男性)

何も知らなすぎていた自分

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

年末大晦日、初めて沖縄を訪れた際は何も知らなすぎていた自分がよくわかりある意味、ショック感もありました。私は、沖縄に対し「同じ日本の中の沖縄」と思ってきたので「大和の人」や「本土の人」と呼ばれたことに少し寂しさを感じていました。ですが、下地さんに各地を案内されあのとき、沖縄で起きた残酷な事実を知ってから九州に戻ってからもなぜ、そのようなことが起き「大和の人」と呼ばれるようになったかがやっとわかり始めました。
今回、南部編 最終章までを学び今まで知らなすぎた自分を更に痛感し、恥ずかしくも思いました。しかし、なんでしょう…上手く表せませんが、沖縄が、大切で大好きになりました。
5月3日、18時の便で帰るようになっていたのでチェックアウト後、国際通りでお土産を買う時間しか設けてなかったのですが、約1時間しかありませんでしたが、平和祈念資料館に連れて行ってもらいました。展示物を一つ一つ、じっくり読みながらまわりたかったのですが出来る限り目を通して若干後悔も感じつつ見学しました。
斬り込みに行かされたのか、銃撃で穴だらけになった男の子の死んだ姿の写真が展示されていましたがなぜかその前で足が止まり、涙が止まりませんでした。
平和祈念資料館を出て、どうしても摩文仁の丘にもう一度行きたい気持ちにかられましたが時間がリミットだったのと、暴風雨で諦めました。
なぜか、どうしても牛島さんと長さんが自決した場所に行きたかったので一人だったら、そんな状況でも行ったと思います。もちろん、その場に訪れて敬礼や万歳をしたいわけでは全く無く、牛島さんと話がしたかったような問いかけたかったような…
沖縄を発つ時、離陸の間また不思議と涙がとまらない私になりました。大粒の涙がボロボロ溢れて「さようなら」と思うと、悲しくて悲しくて。でも、そんな自分が不思議でならなかったです。生まれ育った場所でも無く、まだまだ知らないことだらけの沖縄なのに。私には、こちらで何か役目があるのでは?なんて、図々しく思ってみたりもしましたが、それぐらい、知りたかったこと・大切なことを沖縄が、下地さんが、おしえてくれました。
下地さんのツアーがあってこそこんな私でもよくわかり、こんな気持ちになれたんです。
ひめゆり資料館だって 南風原の資料館だってただ一人で行っていたらこんなに知ることは出来ませんでした。
是非、また新たな企画をお願い致します。沖縄に行くきっかけができますから…
(N.様 福岡県 女性)

とても良い旅ができました。

沖縄戦、 その始まりから終わりまでを見るツアー

その節は大変お世話になりました。とても良い旅ができました、お陰さまで。もっとハードかなと危惧していましたが、ついて行けてホッとしていました。戦跡跡地がどこもきれいに整備されていて緑も綺麗で、ちょっと切なかったです。
翌日は対馬丸記念館へ行ってきました。下地さんのお父様、苛酷な体験をなさいましたね。まだまだみたい所が沢山あります。時間をつくって、又お世話になります。どうぞよろしくお願いします。
(M.様 東京都 母娘)

繰り返し過去の事実を学ぶこと

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回の参加で、最も強く感じたのは「この先、平和はそう長く続かない。続けたければ相応の学習と皆の努力が必要だ」ということです。「歴史は繰り返される」その上で、「同じ過ちを犯さないためには、繰り返し過去の事実を学ぶこと」これに尽きると思います。
私に今できることは、二つあります。
一つは、自分が今回のツアーで見聞したことを多くの人に伝えること。二つ目は、自分の子供(中学生2人)を沖縄へ連れて行って沖縄戦を学ばせること。出来れば先生のツアーに参加させたいです。
私には、大それたことはできませんが、今回のツアーで感じた「胸騒ぎ」や漠然とした「危機感」が今後の行動の糧になるとこは間違いありません。
嘉数高地の麓の公園で野球をしていた子供達とほぼ同じ年の子供達が71年前の夏に爆弾を抱えてアメリカの戦車の底に潜り込んだ事実を、摩文仁まで追い詰められた沖縄の方々がどんな気持ちで迫りくる砲弾から逃げていたのか。1人でも多くの人に伝え、そして1日も長く平和を続ける努力を行って参ります。
(A.様 千葉県 男性)

大変有意義な経験ができました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

2日間、大変有意義な経験ができました。ありがとうございました。私は3年ほど前から沖縄の戦跡や米軍施設を見て歩くようになりました。しかし、今回のツアーで、その背景にある戦争体験者や地元の方々のストーリーをお聞きして、見えていなかった部分の多さに改めて驚いています。また、ツアー中、100枚以上の戦争当時の写真を、現地を地図とともに歩きながら見せていただいたことで、さまざまな戦争証言が格段にリアリティを持つようになりました。中でも、ツアー中に見せていただいた「70年前に進軍中の米兵が捨てて近年見つかったコーラ瓶」は、当時の圧倒的な戦力差が分かりとても印象的でした。不利な情報を知りながら一般人をだまして物事を進める「政府」と、その本質を見抜けない「一般人」は、当時も今も変わっていないこと、表裏一体であることに絶望を覚えますが、一方でそういった事実を地道に提示される先生のご活動に今後も期待いたします。
(K.様 東京都 男性)