ツアー体験のご感想
実に貴重な二日間でした。
実に貴重な二日間でした。ありがとうございます。
長年一度は訪れたいと思いながらも果たせず、時とともに多くのものが失われてしまうのではないか、また高度成長期に青春時代をのほほんと過ごした自責の念を抱えたまま人生を終えてしまうのではないか、との危惧から少し解放されました。
通常のツアーではとてもあそこまで戦局を、そして沖縄の人々の多くが最後のわずか一ヶ月間の間に亡くなったことを理解できなかったことでしょう。二日目の最後にはあまりかけ離れた質問を口に出すのがためらわれるほど重い思いがありました。
また、沖縄の人々の対「内地」感情は深浅の度合いはともかく予想できたことですが、中国、韓国に対する親近感というのでしょうか、兄弟意識(糸数アブチラガマを案内してくださった女性もはっきりとおっしゃっていました)には、正直言いましてびっくりしたというか、軽いショックを受けました。歴史的観点からの感情は理解できる(それにしてもあれほど大きいものとは思ってもみませんでした)のですが、ここ1、2年の中国、韓国の国際社会での対日本攻撃の結果、私たちの周辺の多くの人々は個々人への親近感、友情は別として、国家としての対中国・韓国への嫌悪感を理性で押さえているというのが正直な気持ちだと思います。私も可能な限りMade in China ではなく日本製もしくはインドネシア、タイ、ベトナム、カンボジア製を選んでいました。経済発展の観点からも当然ですが・・・。
機会がありましたら、次回はぜひ文化ツアーに参加したいと考えています。
雨と地震を置き土産にしてしまったようですが、4日間とも天気に恵まれ、重くも楽しい(18日はおばちゃん三人組があっちふらふらこっちふらふらと壷谷どおりや市場近辺を歩き回りました)沖縄でした。
「さかえ」は金曜日の夜でしたので残念ながら満席でした。1時間後に電話しても無理なので諦めました。次回に期待します。下地さんがお話されていたとおりのなおみさんとお客でした。私たちにも親切でした。
下地さんの「虫研究者=変わり者が多い」に、失礼にも合図うちを打ってしまいましたが、「ノミの交尾」ではなく「ダニの交尾」を私たち受講生(スルガ銀行のセミナー)のために前日5時間も掛けてコンピュータ・グラフィックスで作成して見せてくださった五箇公一氏を思い出したからです。でも面白い話でした。或いはお知り合いでしょうか。
ありがとうございました。ハンサムなイチロー君にもよろしくお伝えください。
(H.様 神奈川県)
まるでタイムスリップしたような気分になります。
1日8時間~9時間のツアーを2日間かけて沖縄戦の跡をくまなく見学することができました。父と二人で参加して一人15000円、正直、ツアーに参加する前は少し高いなと思っていましたが、終わってみると「こんなコストパフォーマンスの高いツアーは他にないわ!」と、絶賛したいです。
1日目は、米軍が沖縄本土に上陸した海岸から、攻めてきた道、住民たちが逃げていく道、隠れていた洞穴、そこの中での悲惨な結末、または助かった結末等、まるでタイムスリップしたような気分になります。また、単に昔の話しだけでなく、沖縄戦のせいで住民が未だ困っている問題までも詳しく教えてもらえます。普天間基地問題を含む米軍基地問題のことも、テレビなどで聞くことしか知りませんでしたが、このたびのツアーのおかげで本当に良く理解できました。
米軍が南下していく道をポイントごとにたどっていきます。日本陸軍司令部や、陸軍病院も南部に撤退していきますが、その足跡もひとつひとつたどります。首里城は一度訪問していましたが、まさかあの下に陸軍の〇〇〇〇〇があるということもびっくりしました。
2日目は、なぜ沖縄戦が多くの住民たちを巻き込んでしまったかということを学びました。負け続け南部に撤退していく日本軍が住民達に対してとった姑息な行動やその悲惨な内容が、南部に多くあるガマという鍾乳洞の中に入ったときに一気に真に迫ってきます。懐中電灯一つで、ガマの中を案内してくださるガイドさんも紹介してくださり、70年前の叫び声、泣き声、どなり声も本当に聞こえそうでした。
沖縄の一大観光地のひとつに「ひめゆりの塔」があります。私も何回か訪問して、今まであの話しのみが沖縄戦の象徴だと信じていました。しかし、違いました。あれは、一部だったということです。
今の時代、私たちが、平和を願い、語り、推進していくのは悪い歴史を繰り返さないためです。しかし、その悪い歴史をきちんと知らないでいてどうして平和を本気で推進していくことができるでしょうか。このツアーに参加して、日本人が知らなければならない重要な真実を知ることができたと確信しました。そして、可能ならば北海道から九州までの子供たちにこのツアーを体験してもらいたいと思います。
父は、82歳で、大阪大空襲を経験しています。そして、当時沖縄戦のことは聞いていたが、真実を知らされないまま終戦を迎えたそうです。この度のツアーで、何度も絶句していました。自分達より悲惨な事がこの日本の果てで起こっていたとは。。という気持ちだったのでしょう。2日目終わった夜、父は本当に嬉しそうに「このツアーに参加できてよかった。」と、疲れもみせずに言うていました。
1日8~9時間、車で走り回ります。昼食は、地元の超安い、超美味しい、しかも沖縄独特のお店に連れて行ってくれました。戦跡だけでなく、ガイドブックには載っていない本当の沖縄を体験できます。戦跡ツアーはほんと素晴らしかったけど、おまけだったはずの食事が、とても印象深かったということもこのツアーを勧める理由のひとつです。
[余談]ガイドさんについて説明してもらうというとその人がどんな人か?ということが心配になりますよね。知識ありすぎてしゃべりまくられてもうっとうしいし、かといって鋭い質問には答えられないというもの困ります。下地さんは、ちょうどよい加減です。知識はあふれているのに、旅行者のようすに合わせて話してくれます。高齢の父も十分についていけました。そして、たまに言う冗談が、これまた楽しい。すべっていてもおもしろい人です。自家製の地図や、沖縄戦の主要人物の写真なども持ってこられて臨場感たっぷりにお話ししてくれます。平和思想をもとに戦争に少しでも興味ある人は、ぜひ一度、参加されてはどうでしょうか。また、沖縄が大好きな人なら戦争に全く興味ない方でもいいと思います。ぜったいに今までの自分を反省し本物を知った喜びで一杯になりますから。(^.^)/~~~
(T.様 大阪府)
戦争の恐ろしさを実感した
先ず、写真のお礼を言い忘れました。きれいに撮れていました。ありがとうございました。最初に妻の感想から下地さんの懇切丁寧な解説に現場を目の当たりにしてよく分かり、戦争の恐ろしさを実感したとのことでした。友人達にも沖縄戦のことを話し、平和な現在に感謝いたします、とのことです。私は、勤め人の現役時代はとても休みが取れず、沖縄慰霊にいずれはと思いながらとうとう70年も経ってしまいました。しかし、足腰丈夫なうちにお参りしたいと思い、思い立ったら吉日と先日伺ったわけです。私は戦時中、東京練馬区の人間でしたが、国民学校2年のとき群馬県の妙義山の旅館に学童疎開しました。そんな経験から同年輩の学童が亡くなった対馬丸のことなど、沖縄の戦時中のことはドキュメンタリーで随分見ています。しかし、いま沢山のガマを見、中に入り天井の黒こげの跡、弾丸の跡、病院にした真っ暗な洞窟の柱の残骸、当時の人達の思いを想像して、やはり百聞は一見に如かずでした。先生になろうとしていた有為の女学生たちに考える暇を与えず、ただ看護に明け暮れ、後には軍隊に見放されて行ったことを思うとなんと惨い一生であったかと、胸つぶれる思いで立ちつくしました。今もって米軍基地があり、日本の犠牲になられている沖縄には申し訳ない気持で一杯です。近いうち先日撮って来た記録を私のブログに載せたいと思っています。
(M.様 東京都)
琉球のDNAが語り継ぐ70年前の歴史
先日は心に残る、沖縄の旅の思い出をありがとうございました。息子の小学校の卒業記念にと沖縄への旅を思いたち沖縄歴史文化ツーリスト様のツアーに参加し体験した事あの旅が、彼の心に何かを刻み今後の生きる糧になることを願うと共に下地様との素晴らしい出会いに感謝しております。今日は4月1日、70年目の米軍上陸の日人一倍感慨深くお迎えになっているのではないでしょうか。私にとってはただの日常でしかなかったこの日を特別な想いを抱き、繰り返し迎えてきた人々が居ることを知り遠く離れたこの地から、その想いを少しでも共有できればと思います。ツアー自体の感想でございますが春の沖縄の静かな海と、穏やかな空の下時折上空を旋回する、米軍機のエグゾーストノイズを交えながら聞いた琉球のDNAが語り継ぐ70年前の歴史と現在は、重くそして切ないものでした。小高い場所から、当時の写真を拝見させて頂きながら、自分の目に映る景色とを照らし合わせることにより実際の戦闘の距離感を俯瞰的にイメージすることができその戦場で人々の知識と行動で、救うことが出来なかった幼い命また対照的に知識と行動で、救われる命が有ることを、あらためて実感しました。今回は当方の時間の関係で、南部編は参加できませんでしたが司令部が南部に撤退したことにより民間人を巻き込んでの戦闘になったとの事でしたのでその後の経過は想像に難くなく、お聞きするにはあまりにも悲惨な話もあるかとは思われますが、息子共々再度沖縄に行くことがありましたら、南部編にも参加させていただきたいと思っております。今回は参加いたしませんでしたが、少しうるさい次男の卒業の際には、必ず参加させますのでその時まで、歴史を紡ぐ語り部として更なるご活躍またご健勝をお祈り申し上げます。
(S.様 神奈川県)
住民を巻き添えにして何の軍隊かを問いたい
沖縄の戦績探訪では本当に御世話になりました。有難う御座いました。あらためて沖縄住民の戦禍について、哀悼の意を表します。御案内にもありました通り、首里で戦いを止めていれば、住民十万の命が助かったと思うと、残念でなりません。牛島司令官も二人の参謀も、住民を巻き添えにして沖縄全土を占領され、その後にどんな展望を持って居たのか知る余地も有りませんが、軍隊は住民を守るために有るので、その住民を巻き添えにして何の軍隊かを問いたいと思います。その上一人の参謀は、戦後まで生き残って軍人恩給を貰ってのうのうと生き延びたのには、憤りを禁じえません。日本の将官には、生き恥を曝した奴が多すぎます。まず第一に挙げるべきは牟田口廉也中将、無理なインパール作戦を強行して多くの兵を殺し、白骨街道とまで言われた後、フィリッピンで特攻隊を「お前らだけを殺しはしない、おれも最後に行く」と言いながら自身は無理無理台湾に逃亡し、戦後ものうのうと生き延びた。又、稲田正純中将はニューギニアでホーランジャからサルミに敗退したとき、パイロットを助けると言って自分だけフイリッピン迄逃げ六千の将兵を見殺しにした。福留中将は、山本五十六大将の二番機で、撃墜され捕虜に為ったのに、自殺もせず生き残った。兵や住民には、捕虜になるなら自決しろと言っていたにも関わらず・・・。敗戦後の日本は、連合軍が裁いた報復としか思えない裁判で、下級将兵を見殺しにして、裁かれるべき戦争指導者は逃げてしまったが、本当は日本人が日本の戦争指導者を裁くべきでした。そうしなければ本当の戦後は来ないと思います。最後に、昭和天皇は戦後日本全国を回りましたが、沖縄だけは行かなかった。一番最初にどんな事が有ろうと沖縄に慰霊に行くべきだったと思います。マッカーサーも、天皇がどうしてもと言えば許可したはずです。二日間御一緒して有意義な時を過ごすことが出来、本当に有難うございました。又沖縄に行く事が有ったら、宜しくお願い致します。
(N.様 東京都)
とても勉強になった旅行でした。
3月1日、那覇空港では新千歳空港が悪天候の場合、羽田空港に着陸するという条件付でしたが、無事に予定どおり帰宅できました。2日間の戦跡を主とする現地案内と地図や70年前の写真などを用いたご説明をいただきありがとうございました。沖縄でなければ体験、理解できない戦争の悲惨さ、とりわけ民間人を巻き込んだ悲劇や琉球王朝や沖縄の人々の歴史などについて、目や耳、さらには足を働かせて、とても勉強になった旅行でした。小生、体力的に若干不安でしたが、所々手を取ってくださったり、また、2日連続でなく中日をバスツアーにしたので、負担を少なくできてよかったです。沖縄守備軍、大本営等の琉球、沖縄に対する位置づけがそのまま今日まで続いていること(いや島津藩、明治政府時代からですね)、山城さんらの逮捕を日本人警備員にやらせたのは植民地統治を思わせることなど、非常に考えさせられます。私も歴史をもっと勉強していきたいと思います。札幌はまだまだ寒いですが、そちらはこれから暫くは程よい暖かさが続くのではないでしょうか。お身体に気をつけて、沢山の人々に伝えていく活動を続けられることを願っております。下地さん、本当にお世話になりありがとうございました。(ふーちゃんぷる美味しかったです。)
(I.様 札幌市)
かなり理解度が深まったと思います!
本日は楽しいツアーをありがとうございました!無事に夜の街に戻って参りました。ここは久高島とは全然違います。。。今回の沖縄旅行は、夫に沖縄の文化に触れて貰う事がテーマだったので、下地さんに案内して頂けたおかげで、かなり理解度が深まったと思います!実際の場所に来て、当時の写真やイラストで説明して頂けたのがとても分かりやすかったと喜んでいました。また久高島の街並みをじっくり歩けたのも、すごく心の琴線に触れたみたいです。私だけでは、説明が足りないところがいっぱいあったと思うので、やはりプロの方にお願いしてよかったです。ありがとうございました。また機会がありましたら、よろしくお願い致します。
(〇〇様 東京都)
沖縄戦の実像の一端を知ることができました。
このたびは、2日間にわたりたいへんお世話になりありがとうございました。ツアーに参加したことで、とても有意義な時間を過ごすことができました。本島中部から南部へと展開する日米攻防の前線となった各箇所の重要ポイントを下地さんに案内していただき、決して教科書では学ぶことのできない沖縄戦の実像の一端を知ることができました。とくに、詳細な資料や戦争時の写真と同じアングルからの風景を見ながら説明を聞くことで、一つひとつのお話がより印象深いものになっただけでなく、現在の沖縄が抱える(沖縄に抱えさせながら、そのことを自分たちの外部の問題とし、想像力を失ってしまっている)問題についても深く考えさせられました。お世話になった学生たちが、下地さんと歩きながら感じたことや考えさせられたことを将来、何らかのかたちで活かしてくれればと願っております。また、私自身も、現実から発せられる問いに向き合い、応答し続けていきたいと考えております。これを機会に、今後ともどうかよろしくお願い申し上げます。お忙しい毎日をお送りのこと存じ上げますが、季節の変わり目につき、お身体には十分ご自愛下さい。このたびは、ほんとうにありがとうございました。
(T.様 京都府)
辺野古問題
ツアーに参加してからあっという間に1か月近くが経ってしまいました。あいかわらず新聞(全国紙)では辺野古問題についてはときどきしか取り上げられていないようでネットで沖縄の地方紙を見るとやはり温度差を感じます。いつかまたお会いできる機会がありますように。お元気で。これからもツアーを続けてください。
(B.様 栃木県)
まるで自分が戦場に立っているような感覚に襲われました。
終戦から70年、憲法を変えようという動きが強まる中で、先の戦争について学びたいと思い沖縄をたずねました。戦跡ツアーでは米軍上陸から首里城の司令部が南へ退却するまでの経緯を、ガイドの下地さんと一つ一つたどり、当時の写真などの資料も見ながら1日かけて丁寧にご説明いただきました。移動中には戦後、そして現在の沖縄についての色々な質問にも答えてくださりとても勉強になりました。ツアー後半に訪れたシュガーローフでは、那覇中心部の車や飛行機の音がふと銃声や爆撃の音に聞こえ、まるで自分が戦場に立っているような感覚に襲われました。沖縄では70年経った今も広大な基地と隣り合わせの生活があり、戦争の痛みはまだ続いている。過去の話、とは言えないのだということツアーに参加して感じています。
(B.K.様 栃木県)