ツアー体験のご感想

大きな意味のある沖縄訪問

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

私は戦争についてもちろん 日本だけでなく各国の悲しい過去も学ぼうと努めていますが、まず日本の戦争についてももっと知りたくて沖縄を訪れなくては!と、ずーっと思っていたことが今回、ようやく叶いました。テレビでの特集や戦地を訪れて資料を見て学んだり。でも今回念願の沖縄の地を訪れてただただ、まだまだ無知な自分である事と沖縄の皆さんの気持ちを知らずに来ていたのかを思い知ることになりました。とにかく観光旅行が目当てではなかったので今回の下地さんご案内のツアーはまさに私が知りたい「観光ツアーでは訪れられない場所」は想像以上にいろんな角度からの学びもあり私にとって、大きな意味のある沖縄訪問となりました。そして、知れば知るほど 政府に不信感を覚えます。
(N.様 福岡県 女性)

本当に価値の有る良い時間を過ごせました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回中部編をお願いしたツアーは、限られた日程では見落としてしまったり、消化しきれなかったりする程の内容を、1日で巡る事ができる中身の濃い物でした。時系列に添いながら現地を観て聴けた解説では、個々に散在していた自己知識の沖縄戦が次第に繋がり、その始まりから南部戦線に向かうまでの流れが感じられ、非常に興味深い貴重な体験をさせていただきました。移動中にも沢山お話しさせていただいて、今昔に限らず沖縄にまつわる様々なお話をお聴きしながら、個人的にも訊きたかった様々な沖縄の姿にふれる事ができ、本当に価値の有る良い僅かな時間を過ごせました。後日ツアーで学んだ流れを思い返しながら、再び足を運んだ南部でも以前と感じ方が異なり、より深く思いを向けた戦跡巡りができました。また沖縄へ飛べる際には、南部編でも学びたいと思っています。
(Y.様 長野県 男性)

70年の時間をたぐり寄せて

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

兵士や住民の過酷で凄惨な事実を垣間見ることができ、また70年の時間をたぐり寄せて身近に感じることができたように思いました。
また、現地司令部の議論や動きを詳細に教えていただいて、中央の最高戦争指導会議が6月8日の御前会議で戦争目的を「皇土保衛」「国体護持」として本土決戦を唱えた「戦争指導大綱」が決定され、戦争が継続されていったたことを併せて思えば、これ以上悲しい歴史はないと思わされます。
同会議で外務省、海軍省が一貫して「即時講和」を主張していたのにもかかわらず、「政治」は決まらずただズルズルと時間が流れていくというのはどういう国なのかやはり分かりません。どうしてこのように民に思いをはせない政治をする国になってしまったのでしょうか。このことは、私がずっと前から疑問に思っていたことで、現地に行ってあらためて考えたいと思っておりました。
司馬遼太郎は、敗戦までの約20年の日本を「魔法の森」と称していて(『「昭和」という国家』1999.NHK出版)、その「魔法」を解く鍵は「尊皇攘夷」と「統帥権」だといっています。尊皇攘夷は維新期の言葉ですが、昭和期まで「ひとびと」を国を支える大切なものとしてみる思想が(明治期に)育たず、西欧列強に並ぶことと排他思想しかなかったことが大きな要因だということでしょう。
私は、明治期の「言語の育ち」が大きく関与し、つまり日本語で多くの人が国家社会や人のあり方、その仕組みや関係・・・を思考できるほどの成熟を見る間もなく、政治家は情報を操作することに恥じらいもなく、国民は「勝った!勝った!」という情報にうかれて後押しをするような自虐的な行いをしてしまうということになったのでは、と考えたりしますが、そういう愚考は置いておきます。
実は、私は元小学校教員です。社会科を主に研究してきた者です。その関係で、「社会科の初志をつらぬく会」をいうけったいな名前の研究会に出会い、40年近く勉強させてもらっています。ご存じないかと思いますが、戦後それまでの教育に対する反省も込め、「新しい民主的な社会を主体的に創造する人間は、子どもの切実な問題解決を核心とする学習によってこそ育つ、という考えにもとづいて知識の注入主義を排し(科学や知識の盲目的奴隷にならず)、(国や社会が望む「人材」でなく)その子にふさわしく個を確立していく」教育のあり方を求めて、小中学校での現場実践をふまえて実践的研究をしてきております。
退職前は研究部を、現在は事務局を仰せつかっております。一応、全国組織ですので沖縄にも数少ないですが会員の方もおられます。北谷、南城だったと思います。
そういうことで、退職しましたが社会科教師の血がよみがえり、久々に「フィールドワーク」らしいフィールドワークをさせていただきました。やはり社会科の教師はこういった教材研究を無理してでもしなければなりません。単に「教材」研究としてではなく、社会研究、人間研究としてすべきだと思います。
体調不良でご迷惑をおかけしましたが、お蔭でまた訪沖のきっかけもできました。娘が計画してくれたものに「はいはい」と乗っかって訪れましたが、やはり歴史は重く、よく考えさせられました。
機会がありましたら、次回は残りもさることながら「島田叡元知事の足跡」をたどることができたら、戦時下にあっても「ともに社会をつくる人」として、状況をどう見、どう生きたかという思い、考えから学ばせてもらえるのではないかと思います。
お礼を、と思い書き始めましたが、ぐだぐだと書いてしましました。
あらためて二日間のガイドにお礼申し上げます。本当に思いもよらなかったいい経験でした。
(M.様 大阪府 父娘)

本物の知恵を得させていただいた思いです。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

「まるで、大人の修学旅行みたいな経験でした。特に、壕での比嘉兄弟の移民の話が印象に残りました。歴史好きにはたまりませんが、日本人として、沖縄戦の事実をガイドのお話と共に、戦跡を訪れることができる貴重な経験でした。」(息子)

「この歳ではじめて、沖縄の地に足を踏み入れさせてもらいました。突然の息子の計画に乗ったツアーでしたが、とても個人の旅行や一般の業者では叶わない体験をさせていただきました。何十万もの沖縄の人々が70年前の戦争で命を奪われた、それも地上ではありえない、地獄の様相で。多少の知り得ていた知識に、本物の知恵を得させていただいた思いです。そんな中でもガマで二人の兄弟が1000人の命救ったことはとても印象に残りました。人間、学ぶこと、知識を生きる力に、そして人々のために生かすことを改めて意識しました。南風原壕での女学徒の悲惨さは、壕に入って言葉がありません。最後に、追い詰められた摩文仁の丘では合掌の手が離れませんでした。今回わずか3泊でしたが、充実した旅ができたのはひとえに下地さんとの出会いです。ほんとうにありがとうございました。まんぷく食堂よかったです。」(父)
(M.様 東京都 親子)

体験したことは、全く知らなかった

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

下地さん。今回は本当にありがとうございました。細かく丁寧な内容で参加して本当に良かったです。
感謝の気持ちで一杯です。また写真の添付ありがとうございます(さっそくデスクトップ画面使用)。
ツア一での話は悲しくて、苦しくて、色々な思いが湧き上がって、沖縄戦・基地問題となかなか気持ちの整理ができなかったです・・・・。   以前から本を読み、聞いて、映像を見て知識としてはあったのですが、現場で見て聞き体験したことは、全く知らなかったし、理解してなかったことばかりでした。下地さんの「この後、勉強したらまた違いますよ」の言葉がどんどん響いてきます。
悔やまれるのは、現場に圧倒されて、きちんと慰霊の態度、献花ができなかったことです。また沖縄へ行く機会があるので、もう一度訪ねてきちんと慰霊します。
下地さんの活動や陸軍病院豪・アブチラガマのガイドの方達の心に沁みるお話、真摯な活動に接すると「さっ!俺も頑張ろう!」という気持ちが・・・・、さっそく水曜日、官邸前で行動です。
25日は県民集会に宜野湾市役所からバスで参加しました。
現場に知ってる人がいたので、拘置所の差し入れのお願いもできました。
最後の日、紹介してもらったお店の魚が新鮮で上手く、泡盛古酒素晴らしかったです。
ツア一本当にありがとうございました。感謝 !
(H.様 東京都 男性)

目からウロコが落ちる

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

太平洋戦争についての知識はそこそこあったつもりでしたが、どこか実体のないただの知識だったように思われます。実際に起こった現場を見、解説を聞きながらその時を想像すると、つらく恐怖に満ちた世界が多少なりとも追体験できたような気がします。その場にいたら自分は正気でいられただろうか、ほとんど不可能だと思いました。
戦争の実態とはこういう悲惨なもので、映画やゲームの世界とは全く違うことを多くの人が深く理解する必要があり、そのためにはこのような旅が必要だと感じます。
そして日本の中枢と沖縄との関係性が戦前から現在まで、深いところでは何も変わっていないことにも驚かせられました。
「目からウロコが落ちる」ということわざどおりの旅でした。感謝いたします。
(B.様 東京都 男性)

今回はもう一つの目で戦跡を見て

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回も、楽しくも勉強になるツアーを組んで頂き、本当に有難うございました。
参加させて頂く度に、新しい発見・知らなかった事・自分の中での沖縄県への理解が深まっていく事・など、非常に勉強になる渡沖で、感謝しています。
おおよそ米軍上陸から沖縄戦終結までの流れを前回教えて頂いていたので、個々に訪れる場所が沖縄戦のどの頃だったのかが理解出来ていましたので、資料だけでは解らない、直接下地さんの解説・説明に集中して触れる事が出来て、より深くわかりました。
日本軍陣地壕といっても、新たに築造された場所は除いて、他はほとんどがお墓や拝所を利用した壕だという事が理解出来、戦闘壕と、お墓の両面で、壕やガマを見られる様になりました。学徒隊の足跡も、荒崎海岸へ立ってみて、言葉にならない景色が心に突き刺さりました。
グスク山が戦乱の琉球時代に城を構えるのに最適だった場所を、次は日本軍が利用していった歴史。グスク山が住民にとって神聖な場所であったのに戦闘場所に変わり、更に慰霊の場所になってしまった事。などなど、単に戦跡として見学した場所が、今回はもう一つの目で戦跡を見て・考えられる様になりました。
下地さんのご家族(お父様)の「沖縄戦」、お話し頂き、有難うございました。連れって行って頂いた壕(ガマ)は一生忘れる事は無いでしょう。そして壕から見える昔からの道を日本軍が隊列を組んで行軍していった話。今でも壕から見えた道が目に焼き付いています。

首里陥落で終える事が出来なかったのか・・・・。住民があちこちに潜む南部に撤退してきた日本兵は個々それぞれどの様な思いで行軍していたのか・・・。そして弟さんを失いながらも壕に潜んでそれを見つめていたお父様・・・・。何と言っていいかわかりません・・・・涙が出ます。
太田実中将が沖縄戦の総司令官だったら首里陥落後どうしただろうか・・・・など「たられば」ですが色々考えてしまいます・・・。
(O.様 奈良県 男性)

 

本当に充実した日を過ごせました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

沖縄に戦争の歴史を学びに行きたいが、車も運転できず道も分からず、バスの乗り方も複雑で、行きたいけどどのように予定を立てればいいか分からないと思っていたとき、facebbookで紹介されていたツアーを見て、是非これに行きたい!と思い、参加してみました。
ガイドの下地さんは非常に親切で気さくな方で、説明も臨場感にあふれ、非常に詳しい説明に更に写真なども添えて、米軍の上陸地から、嘉数高地や前田高地などの当時の激戦地を実際に訪れ、米軍と日本軍、沖縄人がどのような状況で戦争の日々を過ごしていたかに思いをはせながら歩くことができました。
特に、鍾乳洞である糸数アブチラガマでは、ひめゆり学徒隊が多くの患者を劣悪な環境で看護したり、脳症や破傷風をわずらった重症患者が置き去りにされたり、その中でも生き残れた愛知県の軍人の人の話や、治療もできないため足などをのこぎりで切断するほかなく、ひめゆりが夜な夜なその足をガマの外まで運んで行ったり、ガマの奥には朝鮮人慰安婦がこんなにも暗いところにいたという話をガイドさんから聞き、あまりにも悲惨な当時の状況を思い浮かべると、とても辛くてため息ばかり出てしまいました。
ツアー中に移動する際には、沖縄戦以外にも、米軍基地についても詳しく教えていただき、一人で回っていたならば気づくこともできなかったであろう、基地があるゆえの矛盾についてお話を実際に目にしながら聞くことができました。(米軍が住む住宅街で起こっていること、基地の中で米軍及びその家族がどのような生活をしているかということ、また、それらは全て私たちの税金からまかなわれていること等。)
また、宿泊した民宿の「みなとホテル」から徒歩でいける距離には、浦添城跡や、浦添ようどれ(ようどれは墓の意)など、琉球王国の歴史が学べる史跡がたくさんあり、沖縄中部の歴史的面白さにも触れることができ、本当に充実した日をすごせました。
このたび初めて中部に宿泊しましたが、前回那覇に宿泊したときにはあまり聞かなかった戦闘機の音を頻繁に聞き、基地の近くで生活するとこんな感じなのかというのを初めて体感しました。ツアーの帰りの車中からも、この前墜落したばかりの危険きわまりないオスプレイが飛んでいるのを目にし、これだけの基地が沖縄に押し付けられている現状を変えていかなければと改めて認識しました。
女性一人で参加することに躊躇される女性の参加者もおられるとのことですが、こちらのツアーは非常に安全に参加できるため、おすすめです!青い海と白い砂浜だけではない沖縄の歴史と現実を、是非このツアーで知ってください。
(K.様 台湾在住 女性)

沖縄に未だ戦後が訪れていない

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

時系列にしたがっての戦跡を案内いただき、沖縄での戦争がどのようなものであったか、少しですが理解出来たように思います。そして沖縄に未だ戦後が訪れていない事もわかりました。現地を肌で感じながらお話をお聞きし、ドキュメンタリー映画や本での知識やイメージがよりリアルになり理解が深まりました。
沖縄の現状、歴史をよりたくさんの人達に知ってもらうことがまず大切と思います。今回のツアーでの経験と知識を広めてゆきます。貴重な体験が出来ました。本当に有難うございました。
(S.様 東京都 夫婦)

過去の苦しみは記憶の中から消えることはない

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

「下地さん、大変お世話になりました。
読谷村の米軍上陸地に始まり、日本軍の第一防衛線・第二防衛線・第三防衛線での抵抗、首里城からの撤退、南部への敗走、摩文仁での抵抗終焉の過程について、主要地点の現地への案内に加えて下地さん手作りの資料および写真による丁寧な説明により私なりに沖縄戦を追体験することができました。米軍上陸地から摩文仁までの僅か20数Kmの距離の間で3ヵ月もの戦いが繰り広げられたわけですが、実際に現地を案内して頂いたことにより、こんなに狭い地域で住民を巻き込んで3ヵ月もという驚きを禁じえないとともに、狭い地域・長期間ゆえの激戦であったことに思いが至りました。
また、ガマ、南風原陸軍病院跡、第一外科壕跡等を巡った時には、下地さん、現地の解説の方から、負傷兵士・住民の苦悩・苦痛、それを強いた日本軍の理不尽な組織・論理、差別構造を具体的なお話しを交えお聞きし、アジア・太平洋戦争の無意味さ・理不尽さに怒りを覚えました。摩文仁では、沖縄戦の非合理性を垣間見てきた2日間のツアーの終盤であったことから、沖縄らしい美しい海・海岸であるにも拘わらず、そこを逃げまどう住民の恐怖・必死さが眼に浮かぶようでした。
ガマにおける兄弟の行動について、下地さんがおっしゃった「大事なことは、正しい情報を持つことと勇気です」という言葉がとても印象に残っております。
今回のツアーは沖縄戦の戦跡を巡るのがメインテーマでしたが、復帰前も復帰後も沖縄に負担・リスクを強いてきている日米地位協定の現実的な問題についても、実際に沖縄で体験している下地さんからお話しを聞くことができ、知識ではなく僅かではありますが実感として理解できたように思いました。そして、日米地位協定の矛盾・不平等性は沖縄に集中的に顕在化していますが、日本国全体の問題あるという認識の再確認もできました。
今回の経験で強く思ったのは、「教育の重要性」、「こんな悲劇を避けることはできなかったのか、なぜ避けることができなかったのかという疑問」、「同じ日本人である沖縄の人達に、現在も負担・リスクを強い続けている日本という国家はなんなのかという疑問」です。この経験をきっかけに「過去、何が起きてきたのか、そして現在、何が起きているのか」ということに対する理解を深めていきたいと思います。それと、下地さんのお話しを通じて、沖縄で起きている問題は日本国民全体に突き付けられているものであり、日本国のあり方が問われている問題だと感じました。
人生も終盤に差し掛かった50代に入ってから、広島、長崎の原爆資料館等、近現代の日本の負の遺産の地へ足を運ぶようになっており、いつかは沖縄も行ってみたいと思っておりました。しかしながら、地理に不案内な私が沖縄へ行って戦跡を見るといっても、せいぜい摩文仁の平和祈念公園とひめゆりの塔が浮かぶくらいで、とても今回のような経験はできませんでした。インターネットで色々調べているうちに、下地さんの主催されているツアーのことを知り早速申し込んでお願いしたわけですが、実際に案内して頂き期待を大幅に上回る経験をさせて頂きました。
ただ、あまりにも重い内容を含んだツアーであったため、まだ自分の中で消化できていませんので、もう少し時間を掛けて整理したいとも感じております。
もう少しサラリーマン生活を送った後に、日本を含むアジアの近現代史を勉強したいと思っているこの頃ですが、今回の経験で益々強く学びたいと思うようになりました。
下地さん、本当に有難うございました。」(夫)

「沖縄について深く考えることなく今回のツアーに参加したので不安がいっぱいでした。帰路について思うことは、過去の苦しみは沖縄の人々の記憶の中から消えることはないと思う一方で、今後、私たちを含めてこの記憶を風化させるようなことがあるとするならば、それは悲しい思ったことです。
恥ずかしいですけど、現在の基地の問題については考えたこともありませんでした。このツアーをきっかけに今後の辺野古への基地移転問題を含めた沖縄を見ていきたいと思います。
下地さんの魅力あるツアーに感動しています。ありがとうございました。多くの人にこのツアーに参加してもらえたらと思いました。
私としては、次回は沖縄の歴史文化について広く学べるツアーに参加したいと思っています。」(妻)
(H.様 愛知県 夫婦)