ツアー体験のご感想

現地で感じることが何より重要だと思い知らされました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

お世話になりました〇〇大学のTと申します。
ツアーにあたって沖縄戦について一通りなぞって知識として準備したつもりでしたが現地で見聞きし、感じることが何より重要だと思い知らされました。
また、知識として知っている沖縄と生活の場とされている沖縄とでは乖離していることも多く、70年前から現在にまで続く歪みを深く考えさせられました。
なお、戦前戦中とは内容も方向性も全くの真逆ですが1つの流れのみをより人々に注目させる昨今の現状に何か違和感がありました。
ですが、「なぜ戦争を止めることができなかったのか?それは戦争を止めると言えない空気があったのでは」と下地さんが仰っていたのを聞いてスッキリしました。
主義主張は人それぞれあることは然るべきなのですが現在の流れに沿った主張をしないと有形無形の非難を受けてしまう「空気」が戦争を止めると言えなかった「空気」や軍国教育という強制統一された「空気」が重なっていました。
ただ、どのような方向性であっても戦争を諸手をあげて歓迎するなど誰もしないはずです。
特にこの悲惨かつ無謀な沖縄戦の現状を知ることでより深く思います。
まずは何より70年前から続く歪みを正すことを第一としそのうえで人である以上争いがあるならばそれをできる限り回避することができるのか、これを今一度改めて考えるより良いきっかけとなりました。
2日間常にわかりやすくご丁寧に解説をしていただきまして、本当にありがとうございました。
子どもが理解できる年齢になった時、お教えいただいたことを伝えていこうと思います。
またできるならば今度は子どもと共に参加してより理解を深めたいです。
(T.様 京都府 男性)

日本が誤った道に走っていた

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

下地さん。こんにちは。
先日ツアーに参加した〇〇大学2回生のAと申します。
今回のツアーで、沖縄戦がどれだけ悲惨なもので、日本が誤った道に走っていたのか、戦争とは一体何なのかと考えさせられました。
戦争はものだけでなく人そのものを人自らが破壊してしまう愚かな行為であり、そのことが集団自殺や旧日本軍の行いを生み出したのではないか。と思います。
戦時中の生活は今の生活とかけ離れたものであり、かなり苛酷なものだったと思います。
私たちは戦争のことをまったく知らない世代ですが、戦争の悲惨さをこれからの子どもたちに知ってもらい連鎖を断ち切ることが大切であると考えています。このツアーで学んだことを様々な人に語り継いで知ってもらおうと考えております。
また、米軍の基地問題に関してもこのままのままでいいのか、それと繋がる安保法案にも強い反対の意志を持ちました。
これからもこの学びを胸に秘め、行動していきたいと思ってます。
ツアー中は様々なことを教えていただきありがとうございました。
失礼します。
(A.様 京都府 男性)

どうして今まで知らなかったんだろう?

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

〇〇大学のツアーでお世話になりましたNと申します。
二日間のガイド、本当にありがとうございました。
知らないこと、知っていても実際には目にしたことのない光景の連続で、「どうして今まで知らなかったんだろう?」と考えながら歩いた二日間でした。
中学生頃に灰谷健次郎さんの「太陽の子」を読み、沖縄のことを少し知りました。
美しい海の色、美味しい沖縄料理、楽しそうな草花での遊び、そして登場する人たちの温かさを小説を読んでイメージして、すてきな所なんだな、と憧れたことを思い出します。
もちろん、小説には戦争のこと、その後に続いた差別や悲しい出来事等も描かれていたのですが、当時はそれがいかに大変なことだったのか、まだ十分理解できていませんでした。
今回ツアーに行く前にもう一度読み直し、戻ってからもまた読みました。
そして、防衛ラインやガマを歩き、摩文仁から海を眺めたときに、「ああ、あの小説の舞台は、神戸じゃなくて沖縄だったんだな」と気付きました。
沖縄戦の背景と、そしてその始まりから終わりまでを知ると、いのちの扱われ方の圧倒的な軽さに、心底驚きました。
勝てるはずがない戦争だとわかっていても止められなかった。
勝てるはずがないとわかっていても、「最後まで戦って死ね」と命令していた。
空襲や原爆と違い、沖縄戦は「今日、止める」という選択があったはずなのに、それをしないまま3ヶ月も戦闘が続き犠牲者が増えた。
どうしてなんだろう、と今も考えています。
防衛ラインでもガマでも摩文仁でも、その場で生きるしかない、あるいは死ぬしかなかった人たちの無念の上に私は立っているんだ、と感じました。
先日も戦災を逃れようと家族で母国を出てきたシリア難民の男の子が海辺で亡くなった、というニュースが全世界を巡りました。
でも、その背景にはおびただしい戦争の犠牲者がいます。
70年前の沖縄もそうです。
こうしたことが繰り返されないためにも、私たちはもっともっと過去を知らなければいけない、と改めて感じました。
でもどうして、知らなかったのでしょう?
東京大空襲や広島・長崎については毎年特集が組まれ目にしたり、語り部のお話を聞く機会がありました。
でもなぜか沖縄について詳しく知る機会がありませんでした。
それはきっと私が知る機会をつかみに行けていなかった、ということであり、沖縄戦をきちんと知ろうとする姿勢が、「自分たちの問題」として考える姿勢が、沖縄から離れた地にいると薄らいでいるということだ、と思います。
それはつまり、日本軍や政府の「沖縄を捨て石に」という姿勢に、私自身が無関心のままに加担したということに他なりません。
それが、今の普天間や嘉手納、辺野古の問題につながっています。
私はもっと知らなくては、と焦りのような気持ちを今回抱きました。
後期の授業では、学生と「子どもと戦争」をテーマに学ぼうと話しています。
今回のツアーで学んだことを、自分なりにきちんと整理し、学生とともに深めて行こうと思います。
そしてなぜ知らないのか、ということも含めて、この現実をしっかり見つめていきます。
また、きっと沖縄を巡りに行きたいです。
その時は戦争のことはもちろん、沖縄の豊かな自然や文化についても学びたいと思います。
今回は本当にありがとうございました。
(N.様 京都府 女性)

「自分事」として考える場になりました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回はGさんに誘われて参加したのですが、ツアー内容をきいて、誘ってもらった直後に「行きたい!」と返事をしました。
それは、10数年前に沖縄で社会福祉関係者が集まる会議に参加し、その時の印象が非常に強かったためです。その際、地元の方の発表の多くに「戦争があった地であること」が感じられ、非常に驚くと同時にショックを受けたのです。
第2次世界大戦のことというのは、私たちにとってはもう遠い歴史上の出来事になっていますが、沖縄の人にとっては全然遠い話ではなく、今に直接つながっている。
私たちと違い、歌や踊りが生活の中にあることも、戦争があった地であることとつながっている、そう感じたのです。
日本で唯一、沖縄は地上戦があった場所であることは知っていました。
ただ、それがどういうことなのかというのは全然わかっていなかった、と思ったのです。
今回のツアーでは、他人事としてではなく「自分事」として考えることを、自分なりのテーマにしていました。
1日目、チビチリガマとシムクガマに行きましたが、そこはまさに「自分事」として考える場になりました。
もし、私がその場にいたら、どうしていただろう。
親が子を殺し、先生が生徒を殺す。
本来なら守るべき者の命を自らが絶つという行動に出た人は、きっと責任感が強い人だったに違いない、と思いました。
それが、その時の日本軍の考え方・教育だったし、「鬼畜米英」に渡すぐらいなら自分たちで、という思考になったのも理解できます。
従順で真面目な人、責任感が強い人ならなおさらです。
そこで、考えなければならないと思ったのは、何に対しての「責任感」だったのか、ということです。
本当に大切なものは何なのか、大事にしなければならないことは何なのか。
シムクガマで1000人の命を救った兄弟のことを知りました。
正しい情報の大切さに加え、それをもとに行動する勇気、本当に大事にしなければならないものを大事にするために自分は死ぬかもしれないけれどチャレンジする勇気。
たぶん、集団自決に至るほうが、ある意味自然だったかもしれない流れを変えられる知恵。
今の自分のままでは、私はチビチリガマにいた大人になってしまうかもしれない、と感じました。
これだけ情報過多な世の中で、本当に正しい情報を掴めているのか。
大事にしなければならないものを、大事にできているのか。
ただ真面目、責任感が強い、それではだめなんだ、と考えさせられました。
1日目でもう1つ心に残ったのは「鉄血勤皇隊」のことです。
不勉強で、まったく知りませんでした。
中高生年齢の男子が、肉弾となってキャタピラに挟まって戦死していたという事実は衝撃でした。
元知事の大田さんが鉄血勤皇隊の生き残りである、ということも初めて知りました。
一番弱い者たち、小さい者たちが犠牲になる、それが戦争だと思いました。
首里城で、そこに司令部があったことも驚きでした。
そして、それが首里城の観光パンフレットに載っていないということも。
2日目に印象的だったのは南風原壕跡、アブチラガマで真っ暗闇を体験したことです。
その時にはここで看護していたひめゆり学徒のことを想像しました。
行き違いもできないようなあんなに狭い場所で、医薬品も食料も水も足りない、何もない、不潔で、麻酔もない手術の叫びまくる患者の身体を押さえなければならない、そんな環境では、心閉ざさなければやっていけなかったのではないか、そんな風に思いました。
何も感じない、そんな心にしなければ耐えられなかったと思うのです。
そんな時に、心豊かに、傷ついた人、病んだ人に声を掛け、ケアができる人になれるだろうか…。
下地さんからお聴きした話には、初めて知ることがたくさんありました。
とても悲しかったのは、歴史的な経過の中で、沖縄の人が感じていた「日本人になりたい(日本人として認められたい)」という気持ちを踏みにじるようなことをしてきたということです。そして驚いたのは「日本はアメリカになった」という言葉です。アメリカ軍がロープで囲めば、そこから中はアメリカになるんだ、それが安保条約(日米地位協定)であり、制海権も制空権も日本にはないんだ、と。
今の自分の暮らしが根本から変わるような言葉でした。
帰る日、沖縄国際平和研究所に行きました。そこでたまたまですが大田元知事にお会いしてお話をお聞きすることができました。
いつもの生活に戻ってしまえば、やっぱり沖縄で知ったこと、感じたことはまた遠くになってしまいそうだったので、そこのサポート会員になることにしました。
これからも折に触れ、沖縄のことから学んでいきたいと思っています。
記録を残すこと、検証すること、その大切さは私たちの日ごろの仕事にも通じます。
正しい選択をするために学び続けること、それも続けなければと思います。
こうやってまた沖縄のツアーのことを振り返ることで、日々、大事にすべきと考えていたことが蘇ってきました。
今回の旅は、思い出すたびに生きていく上で大事にすべきことを思い起こさせてくれる旅になったと思います。
ありがとうございました。
(S.様 京都府 女性)

たくさんお話ししてくださったことが嬉しかったです。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

2日間大変お世話になりました!
昨日はエンダーでお腹いっぱい食べました!ルートビアも飲みました!…飲めないことはなかったですが、いつものコカ・コーラの方がしっくりくるなぁ、コカ・コーラと言えば、あの瓶…といろいろ考えながら沖縄最後の夜を満喫しました。
今日は今日で運良く青の洞窟にも行くことができ、先程飛行機に乗り込みました。何とか神戸に帰ることができそうです(^^)
2日間のツアーが心に残ったのは、丁寧な説明や詳細な資料はもちろんですが、やはりただマップを見ながら、資料を見ながら…ではなく、思いをもってお話をしてくださった下地さんと共に沖縄の歴史に触れられたからだと思います。時にはご家族の体験や、今感じておられることなど、たくさんお話ししてくださったことが嬉しかったです。せっかくのこの出会いを2日間で終わらせるのは勿体ないので、神戸でまた勉強したいと思います(沖縄の本屋さん、すごいですね!いくつか資料を買いました!)。靖国やこの国の歴史についても学び、子供たちと共に考えていきたいと思います。
またいつかお会いできると信じて…その日を楽しみにしています。本当にありがとうございました。
(M.様 兵庫県 女性)

生き方を考え直すような衝撃的な体験でした。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

東京に戻ってまいり、息子の方はさっそく自由研究に取り掛かっているようです。
息子にとってかけがえのない体験となりましたが、私にとってもこれからの生き方を考え直すような衝撃的な体験でした。
息子だけでなく、私自身もいろいろと考えているところです。
以下に、息子の手紙も添付します。
8月末には自由研究が出来上がると思うので、その際にはまた送らせていただきます。
今回のツアーで撮影した写真の一部も添付しました。
娘や妻もぜひ体験してほしいツアーなので、いずれまたお世話になれたらと思っております。
今後ともよろしくお願いいたします。
「下地さんへ。先日、沖縄戦の本当のことをわかりやすく教えていただき、ありがとうございました。僕たち二人だったら行けないようなところにも下地さんは連れて行ってくださいました。それに、おまけのような話もしてくださり、とてもわかりやすかったです。いま僕は「調べる学習」の考察の下書きを書いています。調べる学習が出来上がったら送りますので、楽しみにしていてください。」
(H.様 東京都)

知らないことがたくさんあった。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

先日は大変ありがとうございました。また、写真も送って下さり、ありがとうございます。通常の観光ツアーでは絶対に体験できないような、とても中身の濃い2日間でした。
うちの父も戻ってきてから「知らないことがたくさんあった。大変勉強になった」と感激しておりました。
かねてから沖縄へ行って戦跡をたどりたいと望んでいた父と親子2人で2日間のツアーに参加させていただきました。日米両軍の間で沖縄戦がどのように展開し、その狭間で住民がどのような惨劇に巻き込まれていったのか、を一つのストーリーとして深く理解することができました。
また、案内していただいたそれぞれの地点で、手作りの地図や、沖縄戦当時の貴重な写真も示しながら、戦跡に秘められた悲劇、日米両軍のエピソードなどを紹介して下さり、大変理解が深まりました。
南部戦跡を「点」としてたどる通常のツアーとは異なり、沖縄戦を時間軸と空間軸の双方の視点を持って追体験することができました。
ツアー2日目の最終盤、軍と住民双方が追い詰められた、太平洋を望む摩文仁の丘に立った時、それまでにたどってきた数々の戦跡のことが思い起こされ、「なぜ日本軍は早々に戦闘終結を決断できなかったのか」「いったい何のために戦ったのか」とやるせない思いでいっぱいになり、平和のありがたみをかみしめました。
とても貴重で有意義な2日間でした。ありがとうございました。
(H.様 石川県)

訪ねたかった沖縄の戦跡

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

暑い中、詳しくご丁寧な案内を、本当にありがとうございました。
感覚が麻痺しないと堪えられない程の凄まじさでした。
訪ねたかった沖縄の戦跡、遅ればせながらでしたが、学んだ多くを、これからの日々に少しでも生かさねば…そして機会あるごとに伝えていきたい、と心から思っております。
貴重な機会を本当にありがとうございました。
(S.様 京都府)

70歳を謳歌する人々へ

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

1968(昭和43)年に大学を卒業しました。60年と70年安保の端境期でしたが、ベトナム戦争や家永教科書訴訟、学費値上げ、釜ヶ崎騒動などとそれなりに考えさせられた時代でした。そんな中に沖縄返還問題がありまして、さほど深く考えもせず“沖縄を返せ!”などと歌ったりしたものでした。こういった問題について、ちょっと考えてみたらと教えた論調の牽引役は、“世界”、“現代の目”、“朝日ジャーナル”といった雑誌だったかと思います。その後、そんな本は二度と手にすることもなくサラリーマン生活を続けまして、3年前に卒業するまで40数年、誠に“企業戦士”というにふさわしい生活を貫きました。その間、沖縄には何度も行きましたが、空港とお客の会社と飲み屋とホテルしか見ずに通り過ぎてきました。我が青春時代の“沖縄を返せ!”という叫びは一体、なんだったのかを考え直し改めて行動する気力はもう無いと思うのですが、沖縄問題をもはや誰に遠慮することもなく考えて良い身分になった今、下地さんのツアーならついて行って悔いはないかなあと思えましたので参加を申し込みました。たまたまネットで下地さんのツアーに出会えたのが幸いでした。我が青春時代にはあり得なかったネット情報なるものの有難さでありました。
*下地さんの戦跡ツアーに参加して
<一回のツアーには一組のお客だけ!>
二日間で沖縄戦跡の始まりから終わりまでをたどるコースに横浜から参加しました。しんどいテーマですが、めったにない機会ですのでしっかり見て、じっくり考えたかったからです。
下地さんは開口一番、“一回に案内する客は、見知らぬ他人に気遣いをさせたくないので一組だけにしている”と。小生は一人旅でしたのでたった一人を二日間、終日、案内くださいました。
<ツアーの料金は決して高くなかった!>
二日間とも朝9時にホテルを出発、そして各地の戦跡を巡った後ホテルに到着したのは19時過ぎでした。移動中や昼食時間までも休むことなく徹底的に“沖縄戦”を解説してくださり語り合いました。仮に京都などの観光地でタクシーに乗って終日、ただ走り回ってもらうとしても、こんなに安い料金ではすまないでしょう。誠に贅沢な旅になりました。
<要所々々で用意くださっていた戦争記録写真と解説文を使って説明あり、実にわかりやすかった!>
沖縄での米軍と日本軍のいわばプロ同士の動静とそれに巻き込まれた住民の動静をたどってくださいました。軍人は戦うために動員されたいわばプロなわけですが、その周辺でひめゆりに代表されるような看護要員とか鉄血勤皇隊と称する補助的な要員として動員された若者達のような素人集団などと老人や幼児といった無辜の住民が巻き込まれて犠牲になったわけで、そういった人々の動態がわかりやすく解説ありました。頂戴した手作りの解説書は、A4サイズで6ページもありました。“ここから撮られた写真だ!”と都度、戦跡で写真を見せてくださいましたが、まるで砲弾や鉄砲などの破裂音などが聞こえるような臨場感がありました。“ここで泣いたらあとがしんどい!”という老人特有の自己防衛で、かろうじて涙を飲み込みながら立ち止まらず歩きました。
<勇気ある解説をしてくださいました!>
戦争という極めて異常事態の中で一体、何が何故に起こったのかについて、これこそが真実だと言い切ることは難しく、とかく異論のあるところです。誠に困難な作業になりますが残された資料を冷静に読み込んだりしながら自分なりの結論を得てゆくしかありません。近年、韓国、中国から我が国の“歴史認識”を問われる事態が生じているわけですが、その背景には多面的な歴史的な事象を一言で説明しきることの困難さがあります。しかしどうみても“戦犯”だと思える者を“顕彰”する巨大な碑が官費で建設されていたりするのを見てしまいました。その結果として、我が国に“反省の色なし”との一見、理不尽に思える怒りについつい共感させられてしまうのは誠に無念でありました。“バックナー中将”のさりげない碑文を見て議論の余地なく事実は事実として素直に受け止めてゆくべき視点こそ大事ではないかと教えられました。
今日的な話題として“辺野古問題”にも当然、話が及びました。下地さんはこういった複雑な課題についての自分なりの結論を参加した小生の理解力に応じて披露してくださいました。お客のものの見方、考え方を受け止めながらも自分なりに得た見方、考え方を披露してゆくことは誠に勇気のいる作業です。下地さんはそれを見事にやり遂げられたと思えました。それは横浜などで流されるメディアの公平なはずの見解の偏りを見事に証明するものでありました。
<真の英雄は誰か、そして教育がいかに大事であるかを教えられた!>
ジュネーブ協定で認められた“降伏”を許さず、“虜囚の辱めを受けるな”と教えた者こそ大いなる“戦犯”でありましょう。無辜の住民の被害を最小限に留める実行力を持っていたにもかかわらずそうしなかった者も重罪の“戦犯”でありました。“軍隊は住民のためには機能しない。”と司馬遼太郎もいいましたが、この沖縄戦でもそれを証明することが起こりました。そんな異常事態の中でもチビチリガマ近くのシムクガマにあって “降伏”を先導した勇気ある者がいたと下地さんは教えてくださいました。誠に凄惨な悲劇の中での大いなる救いでありました。何故こういう人が存在しえたかをこそ語り継がねばなりません。そしてこういう人々にこそ“勲章”が与えられる国でありたいと心から願った次第です。
<沖縄戦跡は永遠に保存すべき我が国の最大級の遺産である!>
いつまでも残さねばならないと思える戦跡に、下地さんは丸二日間、精力的に案内してくださいました。中にはよくこんな場所があることを知ったものだと感心するくらい目立たたず案内板もない戦跡にも案内くださいました。原爆記念ドーム同様、これらの戦跡が永遠に保存されますようにと祈る思いでした。 “沖縄戦跡保存基金”があっていいと思いました。若人諸君に頑張ってほしいテーマでありました。
<下地さん自身を語るだけでも感動的なツアーになるでしょう!>
実は下地家もまたこの沖縄戦の被害者だったということが戦跡をたどりつつ遠慮がちに語られました。父君が対馬丸に乗り遅れたことやおじいさんが怪我をしてサトウキビ畑で動けなくなったことなどが下地さん自身の誕生につながりました。そんなちょっとした偶然に恵まれて今、自分が生きていると語る下地さん。だからこその説得力あるツアーになりました。
<まとめとして>
対馬丸の資料館には訪問できずに終わりました。残念でした!
靖国神社に沖縄戦で使われた同じ兵器類が保存されていると下地さんに教えられました。改めて訪問しようと思いました。
下地さんのツアーが末永く続けられ、真面目なサラリーマン人生を卒業なさって誰に遠慮することなく余生を謳歌しておられる諸兄や多くの若人が学びの場とされんことを祈ります! “非戦”の祈りとともに!
( “横浜・70歳を謳歌する人々へ”  T.様 神奈川県)

「沖縄のことを考える」

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回は、社員旅行が沖縄に行くことに決まり自由時間に何をしようか考えていました。沖縄のツアーを調べていると他とは違う戦争遺跡ツアーを見つけ、これに参加すれば最近の基地移設問題を考える上で自分の基になる考えが見つけられるのではないかと参加を決めました。
ツアーの中で驚いたことは、米軍兵士の精神異常の発病の多さです。日本軍の夜襲の恐怖もありますが、一夜明けて自分たちが殺した情景に耐えられなかったのが一因と聞いて、殺した側にも悲惨な結果が訪れることを知りました。
また、下地さんのクイズで予想外の答えだったのが、陸軍司令部を首里から喜屋武に移動する判断を一人押し通したのが、今まで戦略の意見が通らなかったアメリカ留学のある八原高級参謀であったこと。大本営の命令に忠実に従う日本人の真面目さが仇となってしまったのでしょうか。
もう一つ、戦争後に返還の後も残った米軍基地の話も聞けました。基地返還以外解決しないのに、なぜ移設しないといけないのか疑問が残りました。
戦争の傷跡が残ってる現状を見たおかげで「沖縄のことを考える」事によって、日本人の本質を理解し平和な国をつくるために、また日本政府が誤った方向に向かわないための答えが出てくるのではないかと思っています。
本土に復帰しても、まだたくさんの米軍基地が残っているのを知って、少しでも早く返還されていくことを願っています。
最後に、一方的に話を聞くだけでなく会話応答が出来たので、内容を深める事ができて意味深いものとなりました。本当にありがとうございました。
(K.様 北海道)