ツアー体験のご感想

It made me reflect and value life more.

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

First of all, I would like to thank you for the wonderful experience you gave us in Okinawa. Those two days spent going to the places where actual events of the war occurred was an eyeopener and a life changing experience for me. It made me reflect and value life more. The idea that the war happened recently and being born a few years later would have been the difference of going through experiences that no human being should go through was shocking. Especially what the women, the children and what the civilian went through.
This was the first history of Japan I ever learned. In a way, it made me proud to be a Japanese seeing how the Japanese fought in that circumstance. It made everything I am going through now seem like nothing. The biggest lesson I learned was that with a little confidence and knowledge to save lives. What’s more, is the long-lasting effects of war and how although it is over it still affects the lives of the people today, and we get distracted by other stuff and forget the important and valuable things such as the Okinawan war, this is reflected in the current political situation of Japan. I believe that this is a story that should be integrated into the Japanese education system as you said.
With all this in mind. Starting this October I have decided to start working for an organization called ICAN. ICAN is an organization that helps children in countries that have civil war such as the Philippines and Yemen. Listening and experiencing what happened in Okinawa has given me the confidence and the will to make a difference. With the knowledge, I gained I hope to be able to help as many people as I can and to pass on the knowledge gained from the tour to as many people as I can.
(S. Arashi Philippines male)

we should never forget

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

The Okinawa tour led by Mr. Shimoji was indeed a very insightful and a fun learning experience. The details about the battle of Okinawa was explained thoroughly yet in a simple manner where in everyone would be able to understand. It was a plus that Mr. Shimoji would bring us to the actual place where the event took place and would also show actual pictures taken by the American soldiers at that time. We went to several caves which were then hideouts for Japanese civilians and some which stood as hospitals for the wounded soldiers. One more thing that was nice about this tour was that the stories shared to us shed light to civilians who played a big role during the battle of okinawa, these people whose efforts are not acknowledged or known to many. These are only few out of the many highlights of this 2 day tour.
As a person who barely has knowledge about topics such as this, I highly recommend this tour, it recalls the hardships and tragedies that happened in this very soil of Okinawa, as well as the continuous fight of both the Japanese and Americans to bring pride and joy to their motherland. Nevertheless , it teaches us a segment in history that we should never forget.
(Kika S. Philippines female)

Everybody should consider participating

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

This tour about the war in Okinawa was a really eye opening experience, hearing about the things that happened during the war was haunting, yet it filled me with knowledge on what truly transpired within that lovely island. The contents of the tour is not widely known to most Japanese people for it is not taught in their educational system and reading books and watching movies or documentaries provides background, but nothing sheds more light on these bloodiest of battles than visiting the sites. The tour took two days, and we went around visiting major sites whilst receiving detailed disclosure of facts and entertaining storytelling which kept me interested every second, our expert guide gave us context to the sights both major and lesser known . no trip to Okinawa would be complete without learning a thing or two about the history of the place, Everybody should consider participating in this tour.
(Bilig S. Philippines male)

日本全土で重荷をシェアするべき

沖縄の負担を見るツアー

今回は、3度目の沖縄への旅でした。
いつかは沖縄に移住したいと長年夢見てきました。紺碧の空と海、沖縄三味線の奏でる民謡、美しいハイビスカスやサトウキビ畑の風情、沖縄の人々の明るさ温かさ。いろんなものに憧れ、癒されたかったのでしょう。
勿論、前回訪れた時は南部戦跡巡りをして、沖縄戦の悲惨さを噛みしめました。でも、あの沖縄戦で本土を恨むこともなく、温かく接してくださる沖縄の人々に感動。基地のことなど、ほぼ念頭にもなく、「沖縄大好き!」とだけ思い続けてきた自分が恥ずかしいです。
沖縄戦が過去の負の歴史だとすれば、基地問題は現在進行形の負の現実。
近現代の日本史をとりわけ軽視する日本の歴史教育にも憤りを禁じ得ません。ポツダム宣言受諾までで日本史の授業は終了。これからを生きていく若者に、戦後からの歴史をこそ強調して教えるべきかと。でないと、今の政治に対しても、興味や関心、ましてや一社会人としての自覚も湧いてきません。
知らなかった「沖縄の真実」を今回学びました。長くなりますが、どうか読んでいただけたらm(_ _)m
最初に訪れたのが、キャンプキンザーとキャンプフォスター。キンザー、フォスターとは、あの沖縄戦で功績を挙げた軍人名らしいです。キャンプとは基地の意味です。他にも山ほどの基地がありますが、それらの基地名もやはり軍人名とか。
勿論中には入れず、写真を撮ろうとしたら、日本人の守衛?のような人に「ダメダメ」と追い払われました。米兵は土日を謳歌、私服で自由に外に出ているのに、何だか不快に思いました。
すぐ近くに米軍関係者の居住区がありました(基地の中にもかなり立派な住宅施設があり、米兵とその家族が住んでいます)。その居住区ですが、家賃光熱費土地代を筆頭にあらゆるものが私たちの税金で賄われています。勿論米兵の給料はアメリカから出ているわけですが、例えば彼らがエアコンを年中つけっぱなしでも、それはタダ。日本が払っています。
そして何より驚いたのは、ここに住んでいる人々は、アメリカ政府には把握されていますが、日本政府は何ら把握していないということ。愕然でした。
更に驚愕の事実。
3回も沖縄を訪れながら気づかなかった車のナンバープレート。日本のひらがなに当たる部分が「Y」となっている、そんな車を沢山見ました。事実、居住区に停めてある車は全てYナンバーでした。これは在日米軍の乗る車に付けられるナンバーらしいです。
もしこのYナンバーが事故を起こしたら、日本の警察も米軍も検証に立ち合いますが、その事故が公務中だった場合加害者米兵の身柄は米軍に、日本側は関知できません。そして被害者に対して、アメリカは勿論日本さえも責任を取らないのです。
結果日本の被害者は泣き寝入りすることが多いとか。
また、沖縄入りする飛行機が時に遅れるのは、米軍の飛行訓練の邪魔になる場合「迂回せよ」との指令が出るかららしいです。
本当に憤ろしい想いになりますが気を取り直し、冷静に下地さんのお話を聞くことにしました。
「これは、米軍や米兵が悪いのではない。現に仲の良いアメリカ人もいる。」と。
つまり、日米地位協定という「不平等条約」を容認したのは他ならぬ日本政府。アメリカに対して安全保障の名の下に様々な理不尽を許してしまった日本政府に問題があるのではないでしょうか?
そして、それを今日まで知りもせず調べもせず、安穏と沖縄に遊びに来ていた本土の私たちにも責任はないでしょうか?
三番目に見学したのが嘉手納基地。ここは道の駅かでなから全貌を見渡せます。圧倒的な広さです。嘉手納町より嘉手納基地の方が面積が広いということから想像してもらえるのではないでしょうか?
中には全ての施設が揃っています。学校、映画館、その他あらゆるものがあります。米兵は基地の中では訓練だけをしているものだとイメージしていましたがとんでもない。基地の中で全て事足りる生活をしているらしいのです。休日には平然と基地の外へ出て来ていますが。
沖縄は基地があるから潤うというのも大変な間違いだそうで、返還された後の方が経済効果が顕著に上がっているのが事実だそうです。
最後に、有名な普天間基地を見学しました。近くの高台の公園から全貌を見渡しました。
土曜とあって、あのオスプレイが蜘蛛のように整然と並んで停まっていました。
普天間基地のすぐ側には、日本の住宅地初め小学校その他がギリギリで隣接しています。
世界一危険な飛行場と言わしめる理由に納得しました。
このすぐ近くの沖縄国際大学に米軍機が墜落したのは記憶に新しいですが、危険さの証左に他なりません。
当時グアムへ移転する予定で返還すると約束したアメリカを止めたのは日本政府です。そして、その代わりに辺野古、高江を差し出したのです。
なぜ沖縄ばかりなんでしょう???
世論的に、「沖縄から基地がなくなったらどうなる?アメリカに守ってもらってるのに。」というものがあるようですが、おかしくないですか?
日本の安全保障に米軍基地が必要ならば、なぜ沖縄だけにその負担を強いるのですか?
日本の米軍基地の75パーセントもある沖縄が、日々どれだけの不条理を諦観と寛容で受け止めているか。
下地さんの言葉が痛切に刺さりました。
「沖縄は、全基地を返還して欲しいとは言ってないし、国防のため基地がどうしても必要ならば、これからも沖縄はそれを担う覚悟と誇りを持ってますよ。ただ、返してくれると約束した普天間は返して欲しいし、これ以上基地を作って欲しくない。その二つだけです。願いはそれだけ」と。
そして、これ以上基地が欲しいなら、どうしても必要なら、日本の他の県でシェアして欲しい。同じ日本人なら負担も平等にしてもらいたい。
そう穏やかに力説されました。
全く仰せの通りと思いました。
(私としては、官邸前に基地を造ればどうかと思いました。総理大臣は、日々米軍の訓練の様子が視察できるので何よりのことかと)
さて。
様々な基地を見学させてもらい、そこで下地さんに愚問?をした私。
「沖縄の中にアメリカがあるって感じですね。」と。
すると、しばらく間を置いて。。。
「いや。反対ですよ。私たちは、アメリカの中に沖縄があると思っています。私は、アメリカの51番目の州が沖縄だと言われる方が腑に落ちますよ。」と。
長年、「沖縄には基地があるんだな〜」程度の認識で生きてきた私。目から鱗でした。
本土の人間は皆大なり小なり同じではないでしょうか?
沖縄の人がここまでの想いで生きておられることを微塵も知らなかった。。。。
少なくとも、私はショックで言葉もありませんでした。
最後に。
日米地位協定という不平等条約の理不尽を受け入れて生きている「沖縄の人々の真実」を何も知らずに今日まできた己の無知無学が恥ずかしく情けなく、沖縄の人々に謝りたい気持ちでいっぱいです。
最終的には、この地球上から戦争と軍隊を無くすのが夢です。日本の自衛隊は自衛のためにのみ、そして事実上レスキュー隊として存続してくれて。。。それが依然夢です。
だから、国防が本当に要るのかと言えば、正直私はわからないです。
しかし、国防というものに飽くまで日本がこだわるならば、沖縄だけに多くの負担を強いるのは絶対に理不尽です。日本全土でその重荷を背負いシェアするべきです。
沖縄の背負う基地問題。その負の問題を、改めて知り改めて一から考え直してみませんか?
(K.Y.様 奈良県 女性)

真実であり正しい歴史なのですね。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

先日は充実したツアーで、貴重な経験をさせていただき、誠にありがとうございました。
今回のツアーを通して、多くの方々の尊い命の犠牲があった上で、現在の私たちの平穏な日常が成り立っていることを改めて強く感じることができました。また、これだけの大きな犠牲を払わないと、過ちを過ちであると認識できない人間の愚かさを、とても情けなく思いました。
だからこそ、過去の愚かな過ちを客観的に、正確に把握できる今回のようなツアーは、とても意義のあることだと思いました。
現在の綺麗な沖縄の海、自然がたった74年程前には血の海に染まり、焼け野原になり、多くの方々が凄惨な死を遂げていたという真実は、ツアーを終えた今でも信じられません。
でも、これが真実であり、正しい歴史なのですね。
比嘉兄弟のお話の中で、「正しい知識と情報を持ってかつ正しいと思うことを実行する勇気、行動力が大事。そのためには異文化交流などで、様々な情報や考え方を身につけることが大切。」という趣旨の下地さんの言葉がとても印象に残っています。
そういった意味で、今回のツアーで正しい知識を得て、現地に足を運んで実際に体感するという行動はとても大切なことだと思いました。
様々な情報が氾濫しているこのネット社会において、これからはTVやネットからの情報だけではなく、多くの方々との実際の交流を通して、自分で正しい情報を取捨選択できる力を養い、何かしら自分で行動できたらいいなと思います。
その意味で、このようなツアーを企画し、正しい歴史を次世代に伝えようとしている下地さんの行動力はまさに比嘉兄弟に通じるところがあり、賞賛に値することだと思います。
私も下地さんから伺ったお話や今回のツアーで経験したことを、次世代にも引き継いでいけたらと思っています。
ハードな日程でしたが、お疲れの様子も見せずにとても丁寧に解説していただき、下地さんにはとても感謝しています。
自分でガイドブックで調べただけでは、決して辿り着くことのできない場所ばかりでした。
また、戦後74年、戦争体験を語る方々が減ってきている中で、下地さんのご祖父、お父様から直接聞いた体験談を多々お話していただき、大変感謝しています。
本当にありがとうございました。
(T様 京都府 男性)

沖縄について勉強を続けようと思います。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

私は、内地の人ですが、自分の中では、沖縄からでてきたんだ、という気持ちが強くあります。これからも沖縄の方々の邪魔にならない範囲で、その気持ちを持ち続けようと思います。
下地さんにお会いし、沖縄の現地の方が、どんなことを考えていらっしゃるか、知ることができ、勉強になりました。沖縄の方々が抱えている痛みや悲しみ、苦悩は、外からは見えないもの、分かりにくいものにされてしまっていますから、私はこれからも沖縄について勉強を続けようと思います。そして、私ができることを探したいと思います。
ツアーで、一番よかったのは、摩文仁の丘に連れて行っていただいたことです。解説がよかったです。ありがとうございました。次によかったのは、下地さんと色々なお話ができたことです。下地さんが、沖縄の人としての誇りを持って生きていらっしゃるところに、今は亡き(沖縄の)祖父を思い出し嬉しかったです。
また他のツアーもご依頼させていただくかもしれません。そのときは、どうぞよろしくお願いします。
(T.様 愛知県 女性)

 

平和の敵は無関心である

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回の沖縄戦ツアー、二回目でしたが、今回も多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。ここからは、今回のツアーで印象に残ったこと、考えたことを書かせていただきます。お世辞にもまとまっているとは言えない文章だと思いますが、読んでいただけるとありがたいです。ツアーの二日目が終わった後、飛行機を待っている間の食事中、一番印象的だった場面は何かという話が出ました。ガマが印象的だったという人もいれば、ひめゆり・白百合隊の話が心に残ったという人もいました。僕は、場所で言えば摩文仁のあたりの話が印象的でしたが、その他に記憶に残っていることの一つに、シムクガマから出て僕が雑談でコオロギの話をしていたときの、「コオロギの話か~」という下地さんの言葉です。何のためにもう一度このツアーに来たのか、それを考えさせられる一言でした。もともとこのツアーに来ようと思ったのは、4年くらい経って同じ場所を見たときに何を感じるのか知りたかったということと、自分の沖縄戦、ひいては戦争への考え方を整理するためでした。しかし、再びガマの前に立ち、死んでいってしまった人を思ったとき、感じたことは4年前と何も変わらず、ただ哀しさと、無力感と、息苦しさがあるだけでした。やはり、戦争とはこうも残酷でむごたらしいものなのだと思い知らされました。この旅全体を通してずっと僕が感じていたことは、命の儚さと人の強さ、そして恐ろしい戦争を覆い隠すかのような綺麗な風景です。バクナー中将がたった一発の弾で死んでしまったり、(自分の)すぐに隣にいた人が死んでしまったりと、命は簡単に失われてしまうもの。しかし、あんな不清潔なガマの中にいても、数十万発の艦砲射撃があっても、崖に追い詰められて無差別攻撃をされても、周りと協力して生きている人がいた。特に第一高等女学校の先生の「誰か一人でも生き残ってひめゆりを後世に伝えろ!」という言葉には胸を打たれました。さらに、戦後すぐにひめゆりの塔や白百合の塔を建てたりと、あんな打撃を受けても復興を始められる、そこに人の強さを感じました。そして、沖縄のきれいな海、空、74年前に黒く染められた景色は、今、僕たちの目に「いつも通り」穏やかに映っていました。僕は沖縄の人ではないけれど、この風景を残していきたいと思いました。戦争では、死ぬ人がいます。戦争での死と、今日本で起きている死はまるで別のものです。人数の問題だけではなく、(戦争では)その多くの人が言葉では言い表せないようなむごい死を遂げる。都市が爆撃されれば民間の人、子どもにも被害が出る。挙句の果て74年前の日本では、子どもを戦車に特攻させることもしました。南風原の資料館にあった犠牲者をまとめた資料では、半分以上の家庭で家族の半数以上が亡くなっていて、僕は驚愕しました。家族全員が生き残ったのはわずか7%ほど、それ以外の家族は、大事な親や子ども、祖父母を失い、消滅してしまった家族もある。その一方でほんの少しの差で生き残った人もいます。しかし、その人たちも苦しみ続けていました。僕は死んだことも身近な人を殺されたこともないのでこの人たちの痛みは分からない。想像するしかない。それでもこの人たちの心の痛みは死と同じくらいのものなのだろうと思います。なぜ…死ななければならないのでしょうか。なぜ…。答えは出ない。どうやって、いつなどは答えが出る。だけど、あんなにたくさんの人が死ななければならない理由なんてあるはずがない。どんな理由があろうとも、何十万もの命を捨てていいはずがない。そう、戦争が始まってしまえば、死ぬか生きるかは運でしかない。もし今世界のどこかで大きな戦争が起きたとき、自分や友人、家族などが犠牲にならないという理由はどこにもないのです。先ほども話に出しましたが、僕らは戦争を体験していない。だからその感覚は正確には分からない。でも、だからって分かろうとしなくていいわけじゃない。「平和の敵は無関心である」。知る努力をしなければいずれ繰り返してしまう。どんな形でもいいから後世に残していかなければならないと思いました。戦争の話からそれますが、たぶん世の中には戦争と同じくらい大切な問題がたくさんあるでしょう。ぼくらはそれら全部について知ることはできない。だから、自分の考えも持っていないのにめったなことは言えないと思うのです。そして、やはりアメリカ軍基地のある場所、特に沖縄では生活に影響が出るほど騒音、危険があり、県民の努力があってもなかなか改善されない状況です。辺野古などは普通の飛行機が離発着できないのに莫大な金額を使って基地を造っていて、存在すべき理由もあやふや。それを多くの人は知らないでいる。自分に負担がないから気づかない。多くの人は、辺野古に基地を造るといっても、「まあよくないだろうけど、今の生活に影響はないから自分には関係ない」というように考えているし、僕もそういう考えでした。政府もアメリカとの関係が第一で動いているし、このままでは知らない人によって政策が進められてしまう。このことももっと多くの人に伝えていかなければならないことの一つだと思います。僕は、今回のツアーでいろいろなことを学びました。しかし、どのようにこの話を伝えていくべきなのか、大人になった時にこのような話を伝える機会があるのか、このままではただの知識になってしまう気がするのです。現在、今回のようなツアー以外にも様々なメディアなどの戦争を伝えていく方法が出てきていて、情報を得ることは容易になっています。しかし、実際に現物を見ないと分からないこともあると思います。下地さんは、戦争はどのように後世に伝えていけばよいと思いますでしょうか。今回のツアー、本当にお世話になりました。重ね重ねお礼申し上げます。
(H.T.様 東京都 中2男子)

もっと知りたいと思いました。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

春休みの戦地ツアーでは、多くのことを教えてくださりありがとうございます。私は今まで沖縄戦のことについては「ひめゆり学徒隊」についての本しか読んでおらず、戦地ツアーで初めて知ったことや、地名がたくさんありました。私は事前学習として、当時の中央機関について調べました。第二次世界大戦が始まる前に、戦争に反対する人はすべて退けられていたとわかりました。本には辞めさせられたなどと書いてありましたが、私はなぜそんな人(軍隊)が力を持ってしまったのか不思議でした。しかし戦地ツアーに行って少しわかりました。きっと、教育のせいだと私は思いました。天皇にすべてをささげても天皇をお守りする、そう教えられたのだと思います。しかし、知識があったのならば(アメリカに)敵わないと気が付くべきだった。そうすれば、沖縄戦のように民間人の死亡者、無駄な死亡者は出なかったと思いました。そして、そのようなことをもっと知りたいと思いました。日本は今非常に危ない立場にあり、アメリカからもっと独立すべきだと思います。下地さんにこのようなことを考える機会を与えてくださりありがとうございました。
(H.C.様 東京都 小6女子)

It was a valuable experience

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

Thank you Shimoji-san for your tour. It was a valuable experience to learn many details about the Battle of Okinawa and hear people’s stories. Following Himeyuri girls’ path helped me see the history of spaces. The most strange feeling is the contradiction of beautiful Okinawa nature and the tragedies that occupy those places.
(R.C. 様 英国 男性)

案内が本格的でした

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

① まず下世話な事で恐縮ですが参加料金は安価と思います
私はジオ関蓮にも興味が有りレンタカーで何箇所か廻っていますが
いつも目的地に到達することが大変難儀です
土地勘が無い、目印が無い、カーナビにも出てこない
当然ながら電話番号も無い
きょろきょろと探しているうちに運転事故にも繋がります
そして1日に4か所が精一杯です
② 案内が本格的でした
写真や図面 講義ともに非常に詳細でした
本格的に御研究をされた内容の講義です
タクシーの運転手の説明ではこれほど詳細では無いでしょう
③ 私は戦争が与えた一般人の悲劇に興味がありました
家族の苦労話を母親に幼少から聞いていたからです
今回のツアーでは悲惨な話をたくさん聞きました
しかも同じ日本人に殺されたり死を強要されたという悲劇です
最後にはたくさんの一般人が殺戮されました
④ ペリリュー島では現地の一般人は疎開させたそうです
そのため今もって日本と友好な関係が続いています
一方沖縄では戦後の今でも基地問題でもめています
戦争中の軍の取った行動が悲劇をあまりにも増大させ収まっていません
また戦後も度々誤った政治が行われ翻弄されています
⑤ ウチナーンチュの思いを聞いて涙が出ました
基地周辺の日常のどんな小さな問題も基地問題です
アメリカ軍も日本も沖縄に居させて戴くという気持ちが必要ですし
外国の隣人という立場以上の配慮が必要と思います
日本人も同じです
(A.様 神奈川県 男性)