あまりにも『知らなすぎた』

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

私はこのツアーを通して、自分の中の世界が大きく一変したように感じる。その理由は多くの事を学んだから、というのも勿論だが、より端的に言うなら自分があまりにも『知らなすぎた』からだ。
私は県外の人間だが、沖縄の歴史や問題に関して人並み以上の関心や知識を寄せているつもりでいた。今日のネット社会を中心に右傾化しつつある世の中において、自分は比較的良識のある部類の人間だと思っていたのだ。それのなんと浅はかだったことか。沖縄の歩んできた苦難の歴史をリアルに見聞きし、案内された今そう痛感するばかりだ。私は今までテレビ画面や新聞紙上で勝手に憤りや憂いを抱いていたに過ぎず、この戦跡ツアーを経た今、それらの感情は本当の意味で私の中で価値を持ったのだ。
アメリカ軍の上陸から幾度にも及ぶ激戦を経て、組織戦終結に至る全ての流れをそれぞれの土地にて、まさしくこれ以上ないほどの臨場感に富んだ説明を拝聴できた。それは単なる講義や説明にあらず。下地さんから、私達ツアー参加者のイメージへの訴えかけ、そして問いかけであるように私には思われた。それぞれの場所にて、その凄惨な出来事をまざまざと私達に感じさせつつも、どのように受け取りどのように考えるかは私達に委ねる。こうして参加者の主体を尊重し、尚且つどこまでもリアルに学べる平和学習は、絶対に教科書は勿論書物や写真からでは得られない学びだ。
このツアーで学んだ当時の沖縄の人々や日本軍の様子を一貫して見た時、私は当時の軍国主義や靖国信仰というものの恐ろしさを改めて思い知った。必ず敗北しその先に死が待ち構えていると分かっていながらも、生きようとする意思すらかなぐり捨てたかのように斬り込む日本兵。首里城まで敵陣が迫ったというのに、それでも尚、天皇のためにというお題目の下、無謀な集団自殺に住民を巻き込んだ軍司令部。彼等にとって天皇のために、御国の為に尽くして死ぬのは称えられるべき誉れなのだ。この狂気じみた思想は当時の日本全体を包み込んでおり、その「愛国」という巨大なストーリーの中に、一人一人の人生が粉微塵と化して取り込まれていた。人々から「生きたい」という原始的な欲求すら剥奪したこの巨大なストーリーが奪った生命の数はどれほどになるのか。
そして差別され、皇国臣民の名の下に日本軍に従わされた沖縄の人々は、文字通り全てを捧げて戦争に協力させられたのだ。彼等に対する日本軍の迫害と洗脳は教科書の沖縄戦には殆ど載っていないが、沖縄戦の住民の47%もの犠牲者はアメリカの一方的な蹂躙によって生まれたものだけではなく、日本軍が住民の命を顧みなかった結果だという事を多くの人は知るべきだ。
アメリカ兵に捕まれば嬲られて殺される、そして降伏や投降をすれば非国民として自分の家族が殺される。そんな考えが当たり前の状況下で戦火に晒された沖縄では、助かった筈の命の多くが失われた。捕まるくらいならと我が子や愛する者を刺し殺してまで集団死を選んだ人々の事を思うと、私は胸の奥がどうしようもなく詰まって言葉にならない。母親に我が子を手にかけさせるような、そんな悲劇を生む時代がどうして許されるのか。
そして恐ろしいことに、現代の日本人の多くはかつての沖縄の悼ましい犠牲も、そこから今に繋がる基地問題にも、真剣に受け止めてはいない。74年前、無辜の命が失われた意味をほとんど誰も本気で捉えていない。
今日においても平気で右翼的思想を唱え、靖國神社を崇める人々がいる事に、同じ現代に生きる日本人として本当に慙愧に堪えない。そんな日本人全体が今の安倍政権を許してしまっているのではないだろうか。
私はこの学習を心に刻んで生きていく。
(K.K.様 奈良県 男性)