今回はもう一つの目で戦跡を見て

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回も、楽しくも勉強になるツアーを組んで頂き、本当に有難うございました。
参加させて頂く度に、新しい発見・知らなかった事・自分の中での沖縄県への理解が深まっていく事・など、非常に勉強になる渡沖で、感謝しています。
おおよそ米軍上陸から沖縄戦終結までの流れを前回教えて頂いていたので、個々に訪れる場所が沖縄戦のどの頃だったのかが理解出来ていましたので、資料だけでは解らない、直接下地さんの解説・説明に集中して触れる事が出来て、より深くわかりました。
日本軍陣地壕といっても、新たに築造された場所は除いて、他はほとんどがお墓や拝所を利用した壕だという事が理解出来、戦闘壕と、お墓の両面で、壕やガマを見られる様になりました。学徒隊の足跡も、荒崎海岸へ立ってみて、言葉にならない景色が心に突き刺さりました。
グスク山が戦乱の琉球時代に城を構えるのに最適だった場所を、次は日本軍が利用していった歴史。グスク山が住民にとって神聖な場所であったのに戦闘場所に変わり、更に慰霊の場所になってしまった事。などなど、単に戦跡として見学した場所が、今回はもう一つの目で戦跡を見て・考えられる様になりました。
下地さんのご家族(お父様)の「沖縄戦」、お話し頂き、有難うございました。連れって行って頂いた壕(ガマ)は一生忘れる事は無いでしょう。そして壕から見える昔からの道を日本軍が隊列を組んで行軍していった話。今でも壕から見えた道が目に焼き付いています。

首里陥落で終える事が出来なかったのか・・・・。住民があちこちに潜む南部に撤退してきた日本兵は個々それぞれどの様な思いで行軍していたのか・・・。そして弟さんを失いながらも壕に潜んでそれを見つめていたお父様・・・・。何と言っていいかわかりません・・・・涙が出ます。
太田実中将が沖縄戦の総司令官だったら首里陥落後どうしただろうか・・・・など「たられば」ですが色々考えてしまいます・・・。
(O.様 奈良県 男性)