平和の敵は無関心である

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回の沖縄戦ツアー、二回目でしたが、今回も多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。ここからは、今回のツアーで印象に残ったこと、考えたことを書かせていただきます。お世辞にもまとまっているとは言えない文章だと思いますが、読んでいただけるとありがたいです。ツアーの二日目が終わった後、飛行機を待っている間の食事中、一番印象的だった場面は何かという話が出ました。ガマが印象的だったという人もいれば、ひめゆり・白百合隊の話が心に残ったという人もいました。僕は、場所で言えば摩文仁のあたりの話が印象的でしたが、その他に記憶に残っていることの一つに、シムクガマから出て僕が雑談でコオロギの話をしていたときの、「コオロギの話か~」という下地さんの言葉です。何のためにもう一度このツアーに来たのか、それを考えさせられる一言でした。もともとこのツアーに来ようと思ったのは、4年くらい経って同じ場所を見たときに何を感じるのか知りたかったということと、自分の沖縄戦、ひいては戦争への考え方を整理するためでした。しかし、再びガマの前に立ち、死んでいってしまった人を思ったとき、感じたことは4年前と何も変わらず、ただ哀しさと、無力感と、息苦しさがあるだけでした。やはり、戦争とはこうも残酷でむごたらしいものなのだと思い知らされました。この旅全体を通してずっと僕が感じていたことは、命の儚さと人の強さ、そして恐ろしい戦争を覆い隠すかのような綺麗な風景です。バクナー中将がたった一発の弾で死んでしまったり、(自分の)すぐに隣にいた人が死んでしまったりと、命は簡単に失われてしまうもの。しかし、あんな不清潔なガマの中にいても、数十万発の艦砲射撃があっても、崖に追い詰められて無差別攻撃をされても、周りと協力して生きている人がいた。特に第一高等女学校の先生の「誰か一人でも生き残ってひめゆりを後世に伝えろ!」という言葉には胸を打たれました。さらに、戦後すぐにひめゆりの塔や白百合の塔を建てたりと、あんな打撃を受けても復興を始められる、そこに人の強さを感じました。そして、沖縄のきれいな海、空、74年前に黒く染められた景色は、今、僕たちの目に「いつも通り」穏やかに映っていました。僕は沖縄の人ではないけれど、この風景を残していきたいと思いました。戦争では、死ぬ人がいます。戦争での死と、今日本で起きている死はまるで別のものです。人数の問題だけではなく、(戦争では)その多くの人が言葉では言い表せないようなむごい死を遂げる。都市が爆撃されれば民間の人、子どもにも被害が出る。挙句の果て74年前の日本では、子どもを戦車に特攻させることもしました。南風原の資料館にあった犠牲者をまとめた資料では、半分以上の家庭で家族の半数以上が亡くなっていて、僕は驚愕しました。家族全員が生き残ったのはわずか7%ほど、それ以外の家族は、大事な親や子ども、祖父母を失い、消滅してしまった家族もある。その一方でほんの少しの差で生き残った人もいます。しかし、その人たちも苦しみ続けていました。僕は死んだことも身近な人を殺されたこともないのでこの人たちの痛みは分からない。想像するしかない。それでもこの人たちの心の痛みは死と同じくらいのものなのだろうと思います。なぜ…死ななければならないのでしょうか。なぜ…。答えは出ない。どうやって、いつなどは答えが出る。だけど、あんなにたくさんの人が死ななければならない理由なんてあるはずがない。どんな理由があろうとも、何十万もの命を捨てていいはずがない。そう、戦争が始まってしまえば、死ぬか生きるかは運でしかない。もし今世界のどこかで大きな戦争が起きたとき、自分や友人、家族などが犠牲にならないという理由はどこにもないのです。先ほども話に出しましたが、僕らは戦争を体験していない。だからその感覚は正確には分からない。でも、だからって分かろうとしなくていいわけじゃない。「平和の敵は無関心である」。知る努力をしなければいずれ繰り返してしまう。どんな形でもいいから後世に残していかなければならないと思いました。戦争の話からそれますが、たぶん世の中には戦争と同じくらい大切な問題がたくさんあるでしょう。ぼくらはそれら全部について知ることはできない。だから、自分の考えも持っていないのにめったなことは言えないと思うのです。そして、やはりアメリカ軍基地のある場所、特に沖縄では生活に影響が出るほど騒音、危険があり、県民の努力があってもなかなか改善されない状況です。辺野古などは普通の飛行機が離発着できないのに莫大な金額を使って基地を造っていて、存在すべき理由もあやふや。それを多くの人は知らないでいる。自分に負担がないから気づかない。多くの人は、辺野古に基地を造るといっても、「まあよくないだろうけど、今の生活に影響はないから自分には関係ない」というように考えているし、僕もそういう考えでした。政府もアメリカとの関係が第一で動いているし、このままでは知らない人によって政策が進められてしまう。このことももっと多くの人に伝えていかなければならないことの一つだと思います。僕は、今回のツアーでいろいろなことを学びました。しかし、どのようにこの話を伝えていくべきなのか、大人になった時にこのような話を伝える機会があるのか、このままではただの知識になってしまう気がするのです。現在、今回のようなツアー以外にも様々なメディアなどの戦争を伝えていく方法が出てきていて、情報を得ることは容易になっています。しかし、実際に現物を見ないと分からないこともあると思います。下地さんは、戦争はどのように後世に伝えていけばよいと思いますでしょうか。今回のツアー、本当にお世話になりました。重ね重ねお礼申し上げます。
(H.T.様 東京都 中2男子)