何も知らなすぎていた自分

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

年末大晦日、初めて沖縄を訪れた際は何も知らなすぎていた自分がよくわかりある意味、ショック感もありました。私は、沖縄に対し「同じ日本の中の沖縄」と思ってきたので「大和の人」や「本土の人」と呼ばれたことに少し寂しさを感じていました。ですが、下地さんに各地を案内されあのとき、沖縄で起きた残酷な事実を知ってから九州に戻ってからもなぜ、そのようなことが起き「大和の人」と呼ばれるようになったかがやっとわかり始めました。
今回、南部編 最終章までを学び今まで知らなすぎた自分を更に痛感し、恥ずかしくも思いました。しかし、なんでしょう…上手く表せませんが、沖縄が、大切で大好きになりました。
5月3日、18時の便で帰るようになっていたのでチェックアウト後、国際通りでお土産を買う時間しか設けてなかったのですが、約1時間しかありませんでしたが、平和祈念資料館に連れて行ってもらいました。展示物を一つ一つ、じっくり読みながらまわりたかったのですが出来る限り目を通して若干後悔も感じつつ見学しました。
斬り込みに行かされたのか、銃撃で穴だらけになった男の子の死んだ姿の写真が展示されていましたがなぜかその前で足が止まり、涙が止まりませんでした。
平和祈念資料館を出て、どうしても摩文仁の丘にもう一度行きたい気持ちにかられましたが時間がリミットだったのと、暴風雨で諦めました。
なぜか、どうしても牛島さんと長さんが自決した場所に行きたかったので一人だったら、そんな状況でも行ったと思います。もちろん、その場に訪れて敬礼や万歳をしたいわけでは全く無く、牛島さんと話がしたかったような問いかけたかったような…
沖縄を発つ時、離陸の間また不思議と涙がとまらない私になりました。大粒の涙がボロボロ溢れて「さようなら」と思うと、悲しくて悲しくて。でも、そんな自分が不思議でならなかったです。生まれ育った場所でも無く、まだまだ知らないことだらけの沖縄なのに。私には、こちらで何か役目があるのでは?なんて、図々しく思ってみたりもしましたが、それぐらい、知りたかったこと・大切なことを沖縄が、下地さんが、おしえてくれました。
下地さんのツアーがあってこそこんな私でもよくわかり、こんな気持ちになれたんです。
ひめゆり資料館だって 南風原の資料館だってただ一人で行っていたらこんなに知ることは出来ませんでした。
是非、また新たな企画をお願い致します。沖縄に行くきっかけができますから…
(N.様 福岡県 女性)