重たいです。でも知るべきです。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

重たいです。でも知るべきです。
結婚25年の記念に「沖縄旅行」。ここまでは普通でした。でも私の勝手な思い入れから下地さんの「戦跡ツアー」に申し込んでしまい、妻は出発直前まで「行きたくない。怖そうだし・・・」と、人生初の沖縄というのにまったくテンション上がらず。がしかし、2日間のツアーを完走し(あえて「完走」と呼ばせていただきます)、帰りの飛行機の中でふたり顔を見合わせて「めちゃくちゃ重かった。精神的にもヘトヘト。でも参加してよかった。ホントよかったっ!!」と感想を述べ合いました。一言で言えば、そんなツアーです。
一般的な日本人にとって沖縄戦イコール「ひめゆり」かもしれませんが、そこに至る長い道のりを知らなければ、沖縄戦を知ったことにはならないと思います。日本軍の思惑、アメリカ軍の戦略。予想以上の日本軍の抵抗、それを凌駕するアメリカ軍の物量。そして否応なく巻き込まれていく住民の方々の姿。戦争という普通名詞で表現してもほとんど意味をなさないほどの異常異様な状況が出現していく。
ツアーに参加して印象に残った出来事を1つだけ書きます。
陸軍病院跡の資料館で下地さんの説明を受けていると、隣の見知らぬ老婦人が展示された集合写真を指差して「あ、この人○○さん、これは△△さん」と大きな声をあげました。聞けば、敗戦直後のアメリカ軍占領下、いっしょに仕事をしていた上司や仲間の皆さんの写真とのこと。90歳を越えるこのご婦人は、このあと当時のことを堰を切ったように一気にお話されました、それも赤の他人である私たち二人に対して。ひとしきり話し終わると、老婦人は私たちの顔をまじまじと見て「内地の方?ごめんなさいね、でも覚えていてね」とおっしゃいました。
下地さんの独り言。「ああいうおばあちゃんの話をちゃんと聞いてあげないといけないんですよね・・・」考えてみればおかしな話です。90歳のおばあさんは戦後70年経ってはじめてこの資料館に来たのです。「そうなんです」と下地さん。体験した人ほど語らず、体験した人ほど内に秘めてしまう。
歴史の残し方、継承のしかたに関しても気がかりなことがありました。ツアーでは数多くのガマや碑などを訪れますが、入り口の表示や説明板がなかったり、あっても全然目立たない。敷地も整備が行き届いているとはいえず、荒れるに任せるようなところもあります。もちろん予算やマンパワーの面が一番大きいのでしょうが、沖縄各地に点在する戦跡をしっかり残すことに対して、どこか目に見えない躊躇のようなものがあるのではないか。(すみません。ボランティアなど地元の方々の努力を軽んじるつもりは毛頭ありません。魔文仁の丘のキラキラした観光地を見るにつけ、彼我の落差を感じざるを得ませんでした。)
さて、ツアーでは移動時間がけっこうあります。そんなときは是非、下地さんに質問をどんどん投げかけ、ご自身の感想や意見を語ってください。そうすれば、このツアーがさらに楽しいものになるでしょう。次回は、下地さんの本業(?)であるネイチャーツアーにも参加したいと思います。
(S.様 東京都 夫婦)