どうして今まで知らなかったんだろう?

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

〇〇大学のツアーでお世話になりましたNと申します。
二日間のガイド、本当にありがとうございました。
知らないこと、知っていても実際には目にしたことのない光景の連続で、「どうして今まで知らなかったんだろう?」と考えながら歩いた二日間でした。
中学生頃に灰谷健次郎さんの「太陽の子」を読み、沖縄のことを少し知りました。
美しい海の色、美味しい沖縄料理、楽しそうな草花での遊び、そして登場する人たちの温かさを小説を読んでイメージして、すてきな所なんだな、と憧れたことを思い出します。
もちろん、小説には戦争のこと、その後に続いた差別や悲しい出来事等も描かれていたのですが、当時はそれがいかに大変なことだったのか、まだ十分理解できていませんでした。
今回ツアーに行く前にもう一度読み直し、戻ってからもまた読みました。
そして、防衛ラインやガマを歩き、摩文仁から海を眺めたときに、「ああ、あの小説の舞台は、神戸じゃなくて沖縄だったんだな」と気付きました。
沖縄戦の背景と、そしてその始まりから終わりまでを知ると、いのちの扱われ方の圧倒的な軽さに、心底驚きました。
勝てるはずがない戦争だとわかっていても止められなかった。
勝てるはずがないとわかっていても、「最後まで戦って死ね」と命令していた。
空襲や原爆と違い、沖縄戦は「今日、止める」という選択があったはずなのに、それをしないまま3ヶ月も戦闘が続き犠牲者が増えた。
どうしてなんだろう、と今も考えています。
防衛ラインでもガマでも摩文仁でも、その場で生きるしかない、あるいは死ぬしかなかった人たちの無念の上に私は立っているんだ、と感じました。
先日も戦災を逃れようと家族で母国を出てきたシリア難民の男の子が海辺で亡くなった、というニュースが全世界を巡りました。
でも、その背景にはおびただしい戦争の犠牲者がいます。
70年前の沖縄もそうです。
こうしたことが繰り返されないためにも、私たちはもっともっと過去を知らなければいけない、と改めて感じました。
でもどうして、知らなかったのでしょう?
東京大空襲や広島・長崎については毎年特集が組まれ目にしたり、語り部のお話を聞く機会がありました。
でもなぜか沖縄について詳しく知る機会がありませんでした。
それはきっと私が知る機会をつかみに行けていなかった、ということであり、沖縄戦をきちんと知ろうとする姿勢が、「自分たちの問題」として考える姿勢が、沖縄から離れた地にいると薄らいでいるということだ、と思います。
それはつまり、日本軍や政府の「沖縄を捨て石に」という姿勢に、私自身が無関心のままに加担したということに他なりません。
それが、今の普天間や嘉手納、辺野古の問題につながっています。
私はもっと知らなくては、と焦りのような気持ちを今回抱きました。
後期の授業では、学生と「子どもと戦争」をテーマに学ぼうと話しています。
今回のツアーで学んだことを、自分なりにきちんと整理し、学生とともに深めて行こうと思います。
そしてなぜ知らないのか、ということも含めて、この現実をしっかり見つめていきます。
また、きっと沖縄を巡りに行きたいです。
その時は戦争のことはもちろん、沖縄の豊かな自然や文化についても学びたいと思います。
今回は本当にありがとうございました。
(N.様 京都府 女性)