住民を巻き添えにして何の軍隊かを問いたい

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

沖縄の戦績探訪では本当に御世話になりました。有難う御座いました。あらためて沖縄住民の戦禍について、哀悼の意を表します。御案内にもありました通り、首里で戦いを止めていれば、住民十万の命が助かったと思うと、残念でなりません。牛島司令官も二人の参謀も、住民を巻き添えにして沖縄全土を占領され、その後にどんな展望を持って居たのか知る余地も有りませんが、軍隊は住民を守るために有るので、その住民を巻き添えにして何の軍隊かを問いたいと思います。その上一人の参謀は、戦後まで生き残って軍人恩給を貰ってのうのうと生き延びたのには、憤りを禁じえません。日本の将官には、生き恥を曝した奴が多すぎます。まず第一に挙げるべきは牟田口廉也中将、無理なインパール作戦を強行して多くの兵を殺し、白骨街道とまで言われた後、フィリッピンで特攻隊を「お前らだけを殺しはしない、おれも最後に行く」と言いながら自身は無理無理台湾に逃亡し、戦後ものうのうと生き延びた。又、稲田正純中将はニューギニアでホーランジャからサルミに敗退したとき、パイロットを助けると言って自分だけフイリッピン迄逃げ六千の将兵を見殺しにした。福留中将は、山本五十六大将の二番機で、撃墜され捕虜に為ったのに、自殺もせず生き残った。兵や住民には、捕虜になるなら自決しろと言っていたにも関わらず・・・。敗戦後の日本は、連合軍が裁いた報復としか思えない裁判で、下級将兵を見殺しにして、裁かれるべき戦争指導者は逃げてしまったが、本当は日本人が日本の戦争指導者を裁くべきでした。そうしなければ本当の戦後は来ないと思います。最後に、昭和天皇は戦後日本全国を回りましたが、沖縄だけは行かなかった。一番最初にどんな事が有ろうと沖縄に慰霊に行くべきだったと思います。マッカーサーも、天皇がどうしてもと言えば許可したはずです。二日間御一緒して有意義な時を過ごすことが出来、本当に有難うございました。又沖縄に行く事が有ったら、宜しくお願い致します。
(N.様 東京都)