もう一度、沖縄の歴史を学び直してみたい。

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

今回の「沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー」に本土から参加させていただき、如何に沖縄のことを分かっていなかったか恥ずかしく思いました。
この沖縄での戦争はただ単に、本土に米軍が上陸するのを一刻でも遅らせる為だけだったのですね。
牛島司令官は、戦う前から物量共に圧倒的な米軍には勝てないのを承知で立場上やるハメになった。
大本営に兵站を要求しても当時の大日本帝国自体に金もなく燃料もなく、戦線を拡大しすぎて人もなく、大本営の中枢の方々が現場の実態を分かっていないようで・・・・・・・・・・
後の米軍の資料に依ると、戦う前に航空写真で全ての施設・地形等をつかんで緻密な作戦をたてて臨んでいる。
また、全て記録を写真(カラーを多用している)でとっている。4日戦って3日後方陣地で休養できる。シャワーもある。食料も毎食パックで配られる。燃料もドラム缶で数え切れないほど積み上げてある。戦車の装甲も厚さが6センチもある。武器弾薬も豊富。・・・・・・・・・・・・考えただけでもこんな相手に戦いを挑むのが不思議。
第一防衛戦を突破されてからは、敗走につぐ敗走・・・・・・第二防衛戦も第三防衛戦も破られ・・・・
もう戦いの体をなしてない。それでは、「ひめゆり学徒とはなんだったのか?」
恐らく「ひめゆり学徒」はあのような「ガマ」のなかで白衣も着ないでこき使われるとは夢にも思わなかったでしょう。
どうも、日本人のDNAには、自国民を守る意識が希薄なのかな。
私事だが、満州の大連で生まれて戦後の引き上げに際しても、後に出てきた資料により「日本本土も敗戦で大変なのだからなるべく現地に留まれ」との外交資料が出てきた。(米国国立公文書館より)
神風特攻隊・特攻潜水艇・鉄血勤皇隊等・・・他の国から見ると日本人はよく理解できない。
もう一度、沖縄の歴史を学び直してみたい。
下地幸夫さま、本当にありがとうございました。
(Y.様 埼玉県)