戦争の恐ろしさを再確認した日でした。

コニカル・ヒル(首里司令部東側の防衛拠点):沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

縁あって今回、夫と下地さんのツアーに参加しました。米軍に追い詰められていく状況が下地さんの案内で体感できました。
この沖縄戦が初めから本土決戦の準備のための時間稼ぎの戦闘であり、軍備面でも勝ち目のない状況で「天皇陛下のため」という精神論で戦いを続けた日本軍のあり方と国民に犠牲を強いる戦争の恐ろしさを再確認した日でした。何のために多くの住民と兵士は死んでいったのでしょうか。

南風原壕の狭く蒸し暑い内部や、真っ暗なアブチラガマで行われた悲惨な状況を聞き、その場に身を置くことは辛いことでした。当事者の方たちがその事実を人に伝える事ができるまでに長い時間がかかったのも無理はありません。

摩文仁まで追い詰められた牛島司令官が住民の安全の交渉などを行わず、軍に最後まで戦うことを命じ自決した事はショックでした。「ひめゆり学徒」は戦局のさなか突解散命令を出されガマから戦場に放り出され、その多くが解散後の1週間の間に死亡している事実もはじめて知りました。

牛島司令官の孫で教師となり沖縄戦の授業もしている牛島貞満氏の言葉や他の資料を見ても牛島司令官は平時は温厚な教育者肌の人であったと書かれています。
貞満氏の言葉・・「国際法規にも通じていた祖父がなぜ首里で戦争を終らせなかったのか、軍が南部に撤退すれば住民が犠牲になるとわかっていたはずなのになぜなのか、この疑問は私にとって永遠のテーマである。」この言葉に私はユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントの「アイヒマン裁判」を思い浮かべました。凶悪な性格を持っていたわけでなく凡庸な人間であったアイヒマンがナチスの組織の中で粛々と命令に従っていったように牛島司令官も軍隊という組織の中で思考を停止して命令に従ったのでしょうか。

いろいろ考えてしまいました。人は組織の中に入ると思考を止めて上官の命令に粛々と従う習性をもった生き物であり、また従わせる組織を作ってしまう。(アリやハチと同じですね、昆虫と哺乳類はどこの時点で別れたのでしょうか)軍隊はそのもっとも顕著なものです。といことを認めなくては、人はまた繰り返してしまう。人は記録を残し検証し歴史を学ばなければ!しかし、日本政府は記録を残し検証することをまだ学んでいないようです。平和記念公園で楽しそうに歩き回る高校生達を見る心は複雑でした。
辛い話を何度もするという事は本当に大変だと思います。下地さんありがとうございました。
(U様 千葉県)
p.s. 大変重い1日でした。あんな日にヤギ汁を食べる夫の神経の太さに驚愕しました。