沖縄の実態を知ることができました。

battle of okinawa tour

沖縄戦、その始まりから終わりまでを見るツアー

先日は沖縄の戦跡をご案内頂き、ありがとうございました。
懇切なご案内で私も家内も沖縄訪問が本当に意義あるものになりました。
お礼に替えて少し私の感想を記します。長文になりますが、興味があればご一読ください。
私が沖縄を訪問しようと思い立ったのは、私の大きなテーマである「昭和とはいったいどんな時代だったのか、あの戦争は何だったのか?」という問いに答えを求めるための一つの段階でした。昭和6年の満州事変に始まって昭和20年の敗戦まで15年にわたって戦争を続け、200万人の戦闘員と、民間人を加えれば300万人とも400万人ともいわれる犠牲者を出し、市街地の大部分を空襲で焼失したあの時代は、何がそうさせたのか、日本をそこまで破滅させたのは、いったいなぜなのかを知りたいと思っています。
この勉強をしていますとどうしても沖縄の民間人を巻き込んでの玉砕的戦闘に突き当たります。なぜ婦女子や老人まで戦闘に巻き込んで戦うのか、民間人がなぜそこまで死を賭したのか、軍は何を考えたのかを少しでも知るために、まず現地を見ることから始めようと思いました。
下地さんのしっかりと組み立てたご案内を頂き、書物を読むだけでは理解しきれない沖縄の実態を知ることができました。
壕の奥の方に息を殺して潜み、最後には子供たちをわが手にかけ自分の命も絶って行った人々の気持ちを考えると、教育の重要さを再認識いたします。
明治維新で世界に目を開いた日本人は欧米列強からの侵略に対抗するために自分もアジアへ侵略することを避けられず、そのための国内政策として天皇を利用する軍国主義を作り上げていきました。それを徹底するために文部省も権力に迎合するマスコミも「忠君愛国」とか「鬼畜米英」とかの指導を強化していきました。そしてそれに反する思想や情報を国民から徹底的に遮断していったために、日本国民はみな洗脳され「天皇のために命をささげるのが自分の生きる道だ」と考えるようになり、それが嵩じて「大君のために命さえ捧げる」ことに疑問を持たなくなったのでしょう。
シムクガマの見学で下地さんが「知識と勇気」の大切さを語られましたが、あの戦争の愚を再び繰り返さないためには、国家による情報の操作を排し、自由な情報の入手とあらゆる情報発信の自由を絶対に手放さないことが大切です。最近の安倍首相の言動にはいささかの不安を感じます。
国民は20年間洗脳されればほぼ100%それに染まります。教育の恐ろしさと大切さを再認識します。
同じことですが軍も洗脳されてしまいました。
軍とは「国民の生命財産を守るために国民が作るもの」でシビリアンコントロールのもとにおかれるものであるはずですが、天皇を掲げ自分たちのために存在する軍になってしまいました。
首里攻防戦で沖縄における戦いは決着したとその場にいた指導的軍人のほとんどは感じたと思います。せめて首里で沖縄戦をやめておけば、沖縄の民間人の犠牲も少なかっただろうと、残念でたまりません。
「生きて虜囚の辱めを受けることなく、悠久の大義に生くべし」と玉砕を命じて自分は自決した牛島中将の自分勝手さは決して許されないでしょう。国民の財産生命を守るべき「軍」が反対の行動をとった、そしてそれが当時の日本の思想の中心だったということが、昭和の不幸の大きな原因ですが、何がそうさせたのか、それに回答を出すのが私の課題です。
それに加えて、大田海軍少将の「・・・・・沖縄県民斯く戦えり 県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と言い残した遺言に対して、後世の日本国民がどこまで真摯に取り組もうとしているのか、これも戦後の大きな課題です。
それはさておき、鉄血勤皇隊やひめゆり、白梅に代表される少女たちの悲惨さには涙を禁じえません。ご案内頂いたガマ、壕を前にして想像さえできませんでした。この世のものでなくこれを地獄と言わないで何というべきでしょう。戦争体験が風化しつつあります。この悲惨さを後世に伝えることによって、二度と戦争をしない世界を作りたいものです。
まとまりのないことをダラダラ書きました。もう少し勉強します。私のリタイア生活の研究課題です。
また、機会があればお目にかかりたいと思います。どうぞご自愛ください。
ありがとうございました。
(N様 千葉県)